三井物産の本選考ES
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エントリーシート(総合職)
メーカー(自動車・機械・電気・素材) 2025卒 男性
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Q 小学校以前(200~250文字以内)
A (0歳)○○の○○として生まれる。 (幼稚園)動くものに夢中。特に○○が大好きで全○○の○○名を覚えた。図書館に通い年間50冊以上読んだ。 (小1~小5) 友人たちと遊んで過ごす。経済的に厳しい環境であったが両親は何1つ不自由なく育ててくれた。水泳、柔道、空手など様々な習い事をするも打ち込めず。○○だけは楽しく通い、集中力が身についた。○○大会で4年連続優勝。小○○で○○することになり、寂しさから号泣。 (小5~小6) ○○の珍しさから注目の的になる。○○が横行していたが、それを止めることができず悔しい思いをした。 三井物産の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(総合職)
建設・不動産 2025卒 男性
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Q 自分史 小学校以前 (250文字以内)
A 共働きの両親に加え、祖父母の大きな愛を受けて育つ。 (5歳) 祖母のすすめでそろばんと書道を習い始める。そろばんで才能を発揮する。 (小1) 世界遺産の図鑑と国旗の一覧図鑑が愛読書になる。世界地理に興味が芽生える。 (小3) 友達との喧嘩に負け続けたことを機に格闘技を始める。 (小4) 友人の誘いで地元の少年野球チームに入団。そろばんは段位の取得を機に引退。 (小6) 毎日の放課後の公園でのケイドロを行う。公園の周りの崖で走り回っていたことで運動神経が飛躍的に向上した。 三井物産の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(担当職)
メーカー(食品・医薬・生活・他) 2024卒 男性
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Q 自分史(2000字以内)(小学校以前10%、中学校20%、高校30%、大学40%)
A 小学校以前 0歳: ◯◯県◯◯市に生まれる 5歳: 初めてミュージカルを鑑賞する。演目は劇団四季の「美女と野獣」。人前に立って何かをすることに興味を持つ。 9歳: 友だちに誘われて◯◯チームに入る。◯◯漬けの生活になる。 10歳: 父親の転勤に伴い、◯◯に転校。◯◯でも◯◯を続ける。 12歳: 小学6年生の時にAチームに上がるもレギュラーになれず、◯◯をプレーすることに対する興味を徐々に失う。 中学校 2014年4月◯◯中学校入学 中1: ◯◯部には入らず、人前に立つことが好きだったため◯◯部に入部。◯◯で培った声の大きさが役に立つ。秋には◯◯し、◯◯に所属する。 中2: ◯◯部では自らの性格もあり、◯◯を◯◯機会が多かった。秋の◯◯では◯◯に◯◯し、◯◯。「◯◯」を目指し、◯◯に力を入れる。また、ラグビーW杯で日本が南アフリカに勝った試合をテレビで観て、ラグビーに興味を持つ。高校ではラグビー部かアメフト部に入ることを決心する。 中3: ◯◯部の◯◯で◯◯。その結果、全国大会出場校や◯◯大会に出場した経験のある中学校を抑えて優勝。◯◯が優勝したのは実に◯年ぶりだと聞いた。しかし、区大会で燃え尽きてしまい、その後の◯◯ではあっけなく敗退。また、祖父が農家であることから農業ビジネスに興味を持ち、おぼろげながら経営学を学びたいと思う。高校受験は、模試では90%の合格判定を獲得しながらも第1志望の◯◯に落ちる。 高校 2017年4月◯◯高等学校入学 高1: かねてから興味のあったラグビー部の門を叩くが、部員がいないため廃部だと言われる。しかたなく、同じコンタクトスポーツである◯◯部に入部。週に5回、◯◯とウェイトトレーニングを行う筋肉漬けの日々を送る。体重は入学当初から10キロ増えた。◯◯で◯位入賞を果たす。 高2: 高校1年のときからさらに身体を大きくし、入学当初から体重を20キロ増やす。しかし、高校から◯◯を始めたため、経験者にはなかなか勝てないことが続いた。◯◯と筋力トレーニングの両方に全力で取り組み、インターハイ予選では◯◯に入る。しかし、◯◯を賭けた決定戦では敗北。また、人前に立つことが好きだったため◯◯で◯◯をする。◯◯が◯◯ため自信を持つ。 高3: 5月に◯◯部を引退。受験勉強に本腰を入れる。学費の高い私立に通わせてもらっていたため、予備校に通わずに勉強をした。中学生のときから興味のあった経営学を学ぶことができる学科を志望する。◯◯では、高2のときの手応えから自信を持って挑戦。昨年とは打って変わって、◯◯てしまい、自信を無くす。大学受験の結果は、第1志望の◯◯大学はセンターの点数が足りず諦め、第2志望の◯◯大学◯◯部は落ちる。結果、第3志望校だった◯◯大学◯◯部◯◯学科に合格。 大学 2020年4月◯◯大学◯◯学部◯◯学科入学 大1: 新型コロナの影響で入学式が中止。授業がはじまるも、オンライン授業となり交友関係の構築ができず強い孤独を感じる。とりあえず◯◯サークルに入ってみるが、何の活動をすることもなくサークルが自然消滅。11月に◯◯部が活動を再開したため入部。しかし、入部当初は同期がおらず高校よりも恵まれない環境での競技生活となる。したがって、自分でトレーニングメニューを考案して実行したり、自主的にランニングトレーニングをしたりと、考えて◯◯に打ち込むようになる。 大2: コロナ禍により、予定されていた大会がことごとく中止となる。7月と10月に開催された数少ない大会では、どちらも一回戦で敗退し、◯◯の高いレベルを痛感する。より一層、自分に何が足りないのかを考えて、効率的に強くなるために◯◯に励む。9月には◯◯部の主務に就任する。部活動における事務手続きや会計、広報などのあらゆる裏方業務を行う。12月には、◯◯のメンバーとなり、◯◯を担当する。しかし、授業、部活、◯◯、アルバイトの4つを滞りなく行うことに苦戦し、ミスをしてしまうことが増える。そこで、1人で全てを頑張ろうとするのではなく、仲間や周りの人の協力も受けながら、チームプレーを意識することで乗り越えた。 大3: コロナが少し落ち着き、大学が留学生に受け入れを再開した影響で◯◯部にアメリカ、フランス、ベトナム、スウェーデンなど様々な国から留学生がやって来る。図らずも◯◯サークルではなく、◯◯部に在籍しながら国際交流を経験する。一方で、言語の違いによるコミュニケーションの壁や文化の違いを痛感した。その中でも留学生たちと交流しながら、英語と身振り手振りを駆使して◯◯を教えることで、彼らに短期間ではあるが◯◯の楽しさや魅力を伝えることができた。9月には◯◯に就任する予定。 三井物産の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(総合職)
コンサル・シンクタンク 2024卒 男性
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このQAは三井物産の本選考ESの内容です。
Q 自分史を2500文字以下で記載ください。 自分史は、以下 4 つのパートに分けて構成してください。また、全体の文字数に対す る、其々のパートの文字数の比率の目安は以下の通りです。 小学校以前:10%程度 中学時代:20%程度 高校時代:30%程度 大学以降:40%程度 内容・留意事項 事実の羅列を端的に、時系列でご記載ください。 上記行動に至った経緯、および感想も簡単に補足してください。 自分史はあなたの当社に対する志望度を測るものではありません。 自分史の内容のみで合否判断はしません。 サンプルをご一読のうえ、ご準備をお願いします。(サンプルは架空の人物の自分史です。) 改行は必要最低限にしてください。(サンプルの通り、小学校以前・中学時代・ 高校時代・大学以降別に分けていただく程度でお願いします。) 自分史は入社後もチームビルディング等での活用も想定しています
A 【小学校時代】○○年○○立○○小学校入学 (0歳) 2人兄弟の長男として産まれる。 (4歳) 当時TVを通して観戦した、アーセナルFC(イングランド)の試合に魅力を感じ、サッカーを始めると同時に、親の勧めで水泳を始める。 (10歳)日能研に入塾する。 (11歳)日能研模試にて、全国約4万名の中で○○で1位を取る。 (12歳)サッカーの面では、地域選抜に選ばれ、都大会ベスト16に進出。受験の面では、複数の中学校に合格し、○○中学校を進路先として選択。(234文字) 【中学校時代】○○年○○中学校入学 (中1)中学校入学と同時に反抗期に入る。大好きだったサッカーからも離れ、ゲームセンターやカラオケで遊ぶ日々が続く。 (中2)夏休み前に、○○から○○に引っ越しをする。その結果、通学時間の短縮、関わる友人の変化などが起こり、徐々にサッカーに戻ることができるようになる。部活に戻り、すぐにボランチで試合に出場するようになる。同学年の部員が20名程度いたため、あまり良く思われなかったが、結果を出すことで徐々に認めて貰えるようになる。 (中3)サッカー部では、地区大会の決勝で負けてしまい、都大会には出ることができなかった。(287文字) 【高校時代】○○年○○高等学校入学 (高1) 中学校から変わらずサッカー部に所属する。Jリーグのユースチームや各県の選抜レベルの選手がスポーツ推薦として入部してくる環境の中で、初めてサッカーで挫折を経験する。勉学の面では、3学期開始時に、全治3か月の怪我をしてしまい、何かに打ち込みたい一心から勉強に真剣に取り組む。結果として、2学期から大幅に成績が向上し、最も成績が向上した生徒として表彰を受ける。しかし、全体的に成績が伸びた中で、英語だけは成績が伸びず、基礎からやり直す必要があると感じ、両親に頭を下げ個別指導塾に通い始める。 (高2)サッカーの面では変わらずレギュラーを取れずにいた。サッカー日誌や、目標達成に向けたマンダラチャートの記載を通して、常に目標とする姿に向けて練習を重ねた。また、勉学の面では少しずつ結果が出始め、高校2年生の終わりには英検2級を取得した。 (高3)ついにレギュラーで試合に出れるようになるも、直ぐに○○の○○損傷の重傷を負ってしまう。復帰の道を探るも、手術を受けるしか道がなく、手術を受ければ最後の大会には間に合わないと宣告される。現実を受け入れられず、数日間ふさぎこんでしまう。しかし、監督やチームメイトの励ましを受け、自分が試合に出ることは出来なくても、チームの勝利に貢献することで、一番の目標であった、チームとして全国大会に出場することは達成できると考え、主務としてチームを支える。この経験を通して、陰で働く事の大切さや大変さを学ぶ。分析や栄養管理など様々な面からチームをサポートし、結果として創部史上初の○○進出を達成することができた。卒業後の進路としては、○○を選択。 【大学時代】○○年〇月、○○大学○○学部に入学 (大1) 入学と同時に学内の○○寮に入寮。また、交換留学をしたいという思いから、○○(○○学部選抜プログラム)、○○に入り勉学に専念する。○○では、大学○○年次から○○年次レベルの経済学を並行して学び、早い段階から専門的な知識を身につけた。更に、IPでは、3年次の交換留学を見据え、英語で経済学を学習した。また、2月には○○に約1か月の留学を経験した。 (大2) 前期は、9月の交換留学出願に向けて英語の学習に励んだ。結果として、TOEIC○○点、TOEFL ITP ○○点を取得した。○○月には、学内での交換留学選抜試験に受かり、○○大学への○○年間の交換留学を勝ち取った。 加えて、○○学習支援事業「○○」で講師として働きはじめた。「○○」は、片親世帯かつ所得が一定水準以下の家庭を対象としている。後期は、IPの授業内で、「世界金融危機が中国経済に与えた影響」という題で20000字を超えるエッセイを4人組で作成し、留学の土台となる英語力、論文執筆力を磨くことができた。 (大3) 2年次から勤務していた「○○」においてリーダー講師に昇進し、生徒講師含め○○人規模の会場の運営を行った。交換留学がコロナの影響により中止になってしまい、大学院進学など様々な選択肢を考慮するも、最終的に、当時唯一隔離無しで行ける国であった○○に私費留学を決断。語学学校である○○に通い、1日6時間授業を受ける。コロナ過であったことも幸いし、世界中から学生が集い、ブラジルの大学教授や、フランスの弁護士など教養が高い方との対話を通して、英語力の向上のみならず、様々な価値観を学ぶことができた。また、帰国前にヨーロッパ7か国をバックパックして回った。 (大4) その後、大学から○○大学への交換留学を提案される。世界の最先端の国を見たうえで、今度は発展途上国を自分の目で見たいと考え、2月から6月まで○○大学への交換留学を経験した。○○大学では、経済学と開発学を専攻した。生活環境としては、住居はお湯が出ず、シャワーもなく、ほぼすべての電化製品もない環境であり、世界の格差の現状を知ることが出来た。帰国後は、○○株式会社での長期インターンを始めると同時に就職活動を開始する。 三井物産の本選考ESの回答です。 1 -
エントリーシート(担当職)
商社(総合・専門) 2023卒 男性
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Q 【自分史】小学校以前(250文字以内)
A (0歳)○○県○○市のコメ農家に生まれる。(6歳)親の離婚を経験する。以後、人生観に影響を与える。(小3)絵を描くのが好きで、○○○主催の絵画コンクールで特別賞を頂く。それ以後、人前で表彰されることや、ほめられることにやりがいを感じた。(小6)習い事では1年生から続けたそろばんで2段を獲得。しかし、ずっと下を向いていて頭が痛くなるとの理由で、中学では続けなかった。部活ではミニバスケ部に所属。6年生最後の決勝戦でスタメンとして出場したが、1点差で負け仲間と悔し涙を流す。中学でのリベンジを誓った。 三井物産の本選考ESの回答です。 7 -
エントリーシート(総合職)
コンサル・シンクタンク 2023卒 男性
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このQAは三井物産の本選考ESの内容です。
Q 自分史 2,000 文字程度で記入してください。最大でも 2,500 文字以内でお願いします。 構成・ 文字数配分 自分史は、以下 4 つのパートに分けて構成してください。また、全体の文字数に対する、其々のパートの文字数の比率の目安は以下の通りです。 小学校以前:10%程度、中学時代:20%程度、高校時代:30%程度、大学以降:40%程度
A 【小学校卒業まで】(0歳)長男として生まれる。(3歳)スイミングを始めたが、水が苦手で最初の○○級で辞める。(4歳)○○に入会。右脳教育が非常に楽しく、7年通うこととなる。(小2)放課後は毎日公園で鬼ごっこに明け暮れる。友達に誘われ野球を始めようか迷うが、ある日打球が当たったことがトラウマとなり断念する。(小5)家族で○○大学の学校祭に行った際、当時の学生が液体窒素等を使って遊ばせてくれ、頭が良くも気さくな所に憧れを抱く。(小6)友達の姉とバドミントンをし、楽しさに衝撃を受ける。 2013年4月○○中学校入学(中1)バドミントン部に入ろうとするが、女子のみの部であり入れないことを知る。諦められず顧問の先生に頼み、男子バドミントン部を新設してもらい、入部する。そこでただ楽しいとしか感じていなかったバドミントンが、ハードなスポーツであることを思い知る。以降引退まで、土日は部活が終わると地区体育館に直行し、閉館までプレーするようになる。(中2)練習の甲斐があり、春の中体連地区大会にダブルスで入賞し、半年後の公式戦の第一シード権を得る。しかし直前に体育で手の指を骨折してしまい、棄権する。またダブルスのペアも同じタイミングでケガをし、悔しさから2人とも自暴自棄になり、練習を初めてサボる。少し部活を離れることでバドミントン愛に気付かされたため、数日後に復帰しできる範囲から練習を再開する。(中3)最後の中体連で準決勝負けし、全市大会出場を逃して引退する。全力は出せたが負けは負けであり、非常に悔しかった。引退後は受験を見据えたが、学年順位は上位な一方で副教科の内申点が低く、地元トップ校は不安なため準トップ校を目指す。無事受かり、入学する。 2016年4月○○高等学校普通科入学(高1)トップ校に行けなかったことで入学当初は落ち込む。しかし友人に恵まれ校風も自分に合っていたことで、すぐに高校生活を満喫し出す。またバドミントン部に入るが、体育館の少なさや女子との格差がひどく、文句が出るときもあった。(高2)幼いころより科学少年であったため物理や化学を選択するが、特に前者は宇宙の心理を体現していることが格好良く思え、意欲的に授業を受ける。部活では土壇場での勝負で強さを発揮するようになり、試合勝利後に感情が昂り泣くことを初めて経験した。またこの頃より朝練を自分たちで始め、コートの少なさを少しでもカバーしようした。修学旅行は○○に行き、行きの飛行機で寝られないほどは興奮した。メジャーな観光地であり日本語も通じやすいが、それでもそこは異国の地であり、将来は海外と関わって働きたいという考えがより強固なものとなった。(高3)最後の高体連は必死に戦ったが途中で敗れ、○○大会には行けず悔しい思いをした。引退後には勉強に切り替え、まずは好きな英語を仕上げたく英検準一級に申し込んだが、受検当日に発熱し○○℃を記録する。しかし良くも悪くも粘り強い性格のため冷えピタを貼り会場に行き、なんとか合格する。また秋ごろに、勉強の興味が物理や化学から経済学に移ったため文転を決意する。時期の遅さから選択科目が変えられず、日本史を独学する必要があったが、友人と苦手な分野をサポートしあうことで効率よく学習を進められた。またあえて週に一度部活の朝練に行き、後輩指導という名目のもとでリフレッシュをした。そして3月に○○大学○○学部に合格する。友人や家族にも褒められ、非常に嬉しかった。 2019年4月○○大学入学(大1)小学生の頃より憧れていた○○大に入り、気力一杯のもと大学生活スタート。バドミントン部には3回体験に行ったが、団体メンバーは幼いころからの経験者であるジュニアが多く、埋もれるくらいならとサークルに入った。3つあるバドミントンサークルの中で一番規模が小さく、自由度も高かったため好きなだけプレーすることができ、あっという間に常連メンバーになった。飲み会では1人だけアルハラをしてくる人がおり、自分は人の嫌がることはしたくないなと思った。また勉強面では英語の授業を免除させる資格があったが、自己研鑽のためにあえて厳しいと噂の講義を取った。思ったより大変で少し後悔もしたが、やり切った自分が少し誇りに思えた。(大2)春にサークルの代表となったのだが、OBからサークルとしてお金を借りていたため、それを自分たちの代で返そうと意気込んだ。しかしコロナにより活動が出来なくなり、どうしようかと悩んでいた時、○○の疑いが発覚し入院することとなる。悪性であるか良性であるかは手術をした後でしか分からず、更に95%の確率で前者であることは知っていたため、人生最大の恐怖心を味わう。5年生存率という概念を意識した際に、その生々しさから不安で机の上が鼻水だらけになるまで泣いたが、気持ちを切り替えて入院する。結果としては奇跡的に良性であり、全く問題ないことが判明し、死の恐怖にとらわれず生きられることがこの上なく嬉しいと思った。この時より、文字通り健康に生きられることはこの上なくありがたいことだと考えるようになり、少し謙虚な人間となった。また秋以降はサークルが出来るようになり、こちらに注力していくこととなった。(大3)サークルの1つ下の代が代表を引き継ぐことにあまり乗り気でなかったので、引き続き自分が代表をやることにした。同期との工夫によりじわじわと人数が増えていき、それにより赤字を脱却することが多くなった。最終的には黒字となり、先輩やOBから借りていたお金を返すことが出来た。そして下の代が代表をやってくれることになったので役職を受け渡し、それを機に就職活動に専念してきた。 三井物産の本選考ESの回答です。 10 -
エントリーシート(総合職)
商社(総合・専門) 2023卒 女性
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Q 小学校以前
A (0歳) 〇〇市に生まれる (小1)ピアノを習い始める。初めての習い事であったため、嬉しくてピアニストになりたいと言い出す。 (小3)学校の器楽部に入り、トランペットを始める。合奏することが楽しくて、毎日トランペットのことを考えていた。 (小4)〇〇市に引っ越す。引越先の学校に器楽部が無かったため、音楽に対するモチベーションが下がる。ピアノをやめる。始めは〇〇弁が全然聞き取れず、悔しい思いをしたが、1年間で流暢に話せるようになった。学校のクラブ活動で茶道に出会う。 (小5)ハリーポッターにハマり、寝ても覚めても本を読みまくる。読書が大好きで、学校の年間読書冊数ランキングで1位を取った。茶道クラブで〇〇城のお茶会に参加する。 三井物産の本選考ESの回答です。 11 -
エントリーシート(総合職(担当職))
外資系企業 2022卒 男性
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Q 自分史:小学校以前
A (1歳)家族の仕事の都合により、滋賀県から○○へ移住。 (5歳)外で走り回る少年というよりも、一人で絵を描くのが好きな内向的な性格の 少年だった。 (小2)学校No.1ストライカーのドリブルを偶然止めてしまった事で、友人に誘われサッカーを始めるが、全く練習のレベルについていけなかった。 (小5)努力が実り、初めてトップチームのスタメンに選ばれる。 三井物産の本選考ESの回答です。 13 -
エントリーシート(総合職)
金融・保険 2022卒 男性
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Q 小学校以前(250字以内)
A (4歳)幼稚園の授業をきっかけに〇を始める。テスト合格のご褒美(自販機のアイス)をモチベーションに〇に取り組む。 (6歳)姉の影響を受け、〇を始める。 (小1)○○からの誘いで本格的に○○を始める。 (小2)一番上のクラスに上がり、中高生と共に週7回の練習をこなす。棒で殴るなどのコーチのかなり厳しい指導のもと必死に練習をこなす。 (小4)犬を飼う友人の影響で犬が欲しくなった私は、母と○○の出場権を得ることで犬を飼う約束を結び、必死に練習に取り組み、○○初出場を果たす。 三井物産の本選考ESの回答です。 3 -
エントリーシート(担当職)
金融・保険 2022卒 男性
7
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Q 自分史
A 小学校以前(250文字以下) (0歳)2人兄妹の長男としてドイツで生まれ、4歳まで過ごす。友達と毎日喧嘩をするやんちゃな子供だった。 (小3)親友の影響で始めた野球に熱中する。親友に負けまいと練習に励み、レギュラーの座を獲得する。渋谷区の大会で優勝し嬉し涙を流す。 (小4)父親が長期の海外転勤となる。 (小5~6)両親の方針で、中学受験に向けた勉強中心の生活が始まる。文化祭で魅力を感じた聖光学院入学を目指し、必死の勉強の末に合格する。人生で初めて努力が報われる経験をし、努力に対しポジティブな印象を持つようになる。 中学時代(500文字以下) 2010年4月 聖光学院中学校に入学 (中1)2年間我慢していた野球を忘れることができず、思う存分に野球ができる環境を求めて野球部に入部する。冬休みには1ヶ月間シアトルにて現地の英語教師の家にホームステイをし、英語と異文化を学ぶ。英語力は皆無だったが、辞書やジェスチャーを駆使して意思疎通を図り、現地の子どもたちと一緒に野球をするほど親しくなる。 (中2)1型糖尿病を患う妹と母親による食生活に関する喧嘩が絶えなくなり、父親も海外駐在中だったため家での自分の居場所がなくなる。一方で友達と遊ぶ時間をより大切にするようになる。家族との食事内容の差(糖分や食塩を減らすという医師からの指示があったため)に不満をもっていた妹を気遣い、家での食事内容や量を妹に合わせ、代わりに学内食堂で昼食を皆の倍食べるようになる。 (中3)最高学年になり、野球部の活動に専念する。4番の座を後輩に奪われ非常に悔しい思いをするが、負けまいと授業前や部活後も猛練習を続ける。結果、最後の大会では5番センターとして起用され、中区の大会で優勝する。全国大会まで行こうと志すが市大会初戦で敗退し、高校野球に夢を馳せる。 高校時代(750文字以下) 2013年4月 聖光学院高等学校に入学 (高1)迷わず野球部に入部する。夏からは文化祭で企画部門(ステージ企画や後夜祭等、エンターテイメント全般を担当する部門)の部門長として30人ほどのメンバーをまとめる。部活動との両立が厳しく過酷な生活が続いたが、今までにない充実感を感じる。この経験で、チームをまとめ上げることの難しさや、組織をより良くすることの面白さを知る。 (高2)最後の大会(進学校だったため高2の秋までしか部活動が許されていなかった)を前に肘を故障してしまい、試合出場が難しくなる。ショックが大きく1度は退部を検討するが、監督から「チームに対してできることがないと思うなら逃げればいい。」と言われたことをきっかけに考えを改め、ひたすらにバッティング練習と後輩指導、マネージャー業務を行った。復帰後、バッティング力を評価され5番ファーストとして起用されるが2回戦敗退に終わる。どうしても部活を諦めきれなかったため、高3の春大会まで続けるために主将・副将・私の3人で校長先生に交渉をする。学年平均以上の成績を取るという条件で許可がおりたため、最寄りの東進衛星予備校に通い始める。 (高3)春季大会出場は叶ったものの、最後の大会に備え調整してきている他校に新チームで対抗する必要があり、非常に不利な状況であった。そこで、チーム全体の力を向上するために後輩指導・他チーム分析・戦略策定に注力した。結果として初戦敗退となったが、悔しさよりも最後までやり抜くことができた達成感の方が大きかった。監督から「お前らはこれからバットじゃなくてペンを持て」と言われ、受験勉強に専念する。当初成績は絶望的だったが、先生や周りの優秀な友達に支えられながら、なんとか成績を上げることができた。 大学以降(1000文字以下) 2016年4月 東京工業大学に入学 (大1)高校で受けた化学の授業に興味を持ったため、応用化学系を選択する。大学では全く新しいことに挑戦したいと考え、さらに自身が受験生時代に助けられた映像授業の業界に恩返しをしたいと考え、河合塾マナビスでアルバイトを始める。 (大2)家族の引越しをきっかけに一人暮らしを始める。生活費を稼ぎたかったことに加え、塾でのアルバイトにも慣れ始め、よりチャレンジングな環境に身を置きたかったため結婚式場でのアルバイトを始める。職員のほとんどが女性の環境だったためほぼ全ての力仕事を任されていたが、ジムに行かなくても筋トレができる最高の仕事だと自分に言い聞かせ、がむしゃらに業務にあたった。この経験で体力的にも精神的にもタフになった。 (大3)働いていた塾にて、生徒の受講数が低迷した時期があり、生徒にヒアリングを行った結果、生徒の塾に対する信頼感に不足を感じた。そこで生徒の情報をパソコン上で共有するための生徒別カルテの導入を提案し、採用された。当初スタッフがカルテの記入に消極的であったため、同期にも協力を仰ぎスタッフ一人一人と話し合いの場を設け、システムの必要性や役割をスタッフ全員が認知できるよう働きかけた。結果、受講率は同塾全国約300校舎中1 位、全国模試偏差値は首都圏1位となり、このシステムは他校舎にも採用された。この経験から、組織のために考え、行動することで周囲に影響を与えることができ、結果としてより広い範囲に価値提供ができることを学んだ。 (大4)直接社会の役に立つ研究がしたいと考え、触媒を専門にしている横井研究室に所属。所属してすぐに、博士課程の先輩が行っていた脱炭素化社会に向けた国家プロジェクトの共同研究に携わることになった。社会的価値の高い巨大なプロジェクトに関わることができ嬉しかった反面、非常に大きなプレッシャーを感じた。 2020年4月 東京工業大学大学院に入学 博士課程の先輩が卒業し、共同研究に本格的に携わるようになる。しかし、扱う反応が非常にマイナーなため、研究戦略の確立が困難で研究は難航した。そこで、新型コロナウイルスによる自粛期間を利用して、一見関連しないような論文も幅広く読み、僅かでも触媒活性改善の可能性のある戦略を複数立て実験を進めた。結果、高付加価値な触媒開発に成功し、国際学会にて発表予定である。 三井物産の本選考ESの回答です。 7 -
エントリーシート(担当職)
商社(総合・専門) 2022卒 男性
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このQAは三井物産の本選考ESの内容です。
Q 自分史(2000~2500字) 小学校以前、中学校時代、高校時代、大学以降の4パートで構成。文字数の比率の目安はそれぞれ10, 20, 30, 40%程度 小学校以前
A (0歳)〇〇県にて、次男として生まれる。 (幼稚園)〇〇県に引っ越す。母親に勧められ水泳、エレクトーン、習字といった様々な習い事をはじめる。 (小1)習字で表彰をいただく機会があり、大きな達成感を初めて感じる。 (小2)漫画に出会い、熱中しはじめる。自分で漫画を描くこともあり、将来は漫画家になることを夢見る。 (小5)仲のいい友人に誘われ、少年野球チームに入る。それ以前は個人で取り組む習い事ばかり経験していたため、集団で励まし合いながら取り組む素晴らしさを初めて実感する。 三井物産の本選考ESの回答です。 5 -
エントリーシート(担当職)
商社(総合・専門) 2021卒 男性
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このQAは三井物産の本選考ESの内容です。
Q 自分史について、記入してください。(2000字程度、最大2500字)
A 【小学校卒業まで】 (0歳)三人兄弟の次男として生まれる。 (6歳)兄の影響で,町内サッカーチームへ入部を決意。活発な性格と器用さから,フォワードを務めた。 (9歳)やりがいを求め,3年続けたサッカーを辞めて地元の野球チームへ入部する。同級生を誘い一緒に活動を始める。 (12歳)野球チームのキャプテンに選出される。活躍の幅を広げたく,部活動ではバスケットボール、陸上、駅伝など幅広い活動に従事した。学校では児童会長に立候補し、活動した。 【2009年4月 多古町立多古中学校入学】 (中1)よりレベルの高い環境に身を置きたく,学校の部活動ではなく地域の硬式野球チームへ入部した。学業でも手を抜かず,平日は家庭と塾で地道に学習を重ねた。年度末には,学年順位を20番から一桁台まで伸ばし,結果を出す喜びを感じる。 (中2)硬式野球チームの練習についていけず、両親と相談の上退部を決意。途中で投げ出したことを後悔し「苦しくても逃げずに挑む」ことを人生訓とする。その後は,硬式野球チームのかたわら所属していた陸上競技部の活動に身を入れる。学業に割ける時間が増え,努力を重ねて学年2位を取ることが出来た。 (中3)皆を率いる役割に憧れ,体育祭では応援団に立候補しクラス代表として活動した。総合優勝を果たした瞬間は感極まって大粒の涙をこぼし、皆で団結して活動する醍醐味を味わった。学業と部活動を両立できる人物像に憧れ,「文武両道」を掲げる公立学校へ進学する。 【2012年4月 千葉県立成東高等学校入学】 (高1)中学から引き続き、陸上競技部へ入部。野球の経験から,投げる強みを生かすためやり投げを始める。目の前で活躍する先輩の影響で部活に熱が入り,学業がおろそかになる。数学の試験で酷い点数を取ったのが悔しく、以後数学はどの教科よりも力を入れて取り組み,常にクラス最高点を取るまでに成長した。 (高2)この年度の冬に父が病気で亡くなる。生まれて初めて,人生には自分の意志や努力ではどうにもならないことがあると知る。友人と教員の支援のおかげで立ち直れた経験から、人に頼りながら成長することを学ぶ。 (高3)苦手を克服したい思いで理系を選択。厳しい数学の授業でも,習熟度の一番高いクラスを維持する努力をした。部活では投擲部門長を務めたが,目標が部員により様々で,仲間割れを解決することに苦労した。間を取り持ちながら,「好きでやっている思いは共通だ」と粘り強く説得し,引退まで活動出来る環境づくりに努めた。大学受験が迫る中,昨冬の父の死から家庭の経済状況が一転し,それまで志望していた大学へは進学出来ないと悟る。人生最大の挫折を味わう。高卒で就職するか真剣に悩みながらも,自分の将来を考え大学進学したいと頭を下げた。そして,強みと将来性を考え県内の外国語大学へ進学する。 【2015年4月 神田外語大学 外国語学部 アジア言語学科 入学】 (大1)大学入試の挫折を挽回するべく,学業に全力で取り組む。入学時に「英語と中国語の両立」「学科主席卒業」を掲げる。一方、家庭の事情で生活費全額負担の壁にぶつかり、サークルには参加せずアルバイトに全力投球する。体力面と対人能力を成長させたいと考え,業務量が多く厳しいとされる牛丼屋のアルバイトへ応募した。同時に家庭教師を始める。学習障害児の家庭から連絡をいただき、引き受ける。 (大2)人生初の海外旅行を経験する。現地で英語を使い成功体験を積ませる目的で、家庭教師の生徒を連れて行った。生徒のみでなく私も世界の広さに圧倒され,自分が囲の中の蛙だったことを悟る。この経験で「未知に出会い、自分の世界を広げること」が原動力だと悟り、人生の選択肢を広げる目的で外国語学習に励むようになる。経済的事情で留学を断念したため国内で語学力向上を目指し,学内の留学生交流会へ頻繁に足を運んだ。牛丼屋アルバイトでは吸収力の早さからキャプテンを任され、店舗課題の「低回転率」「人手不足」に取り組む。 (大3)交流の機会があった中国人とさらなる交流を図り、SNSでのやりとりやビデオ通話を地道に重ね、日本へ一週間招待することに成功。共に過ごす中で,文化の違いや言葉の壁を超え意思疎通出来たことに充実感を覚えた。この年に英語はTOEIC900点、中国語はHSK5級を達成し二言語両立を達成した。アルバイトでは主婦の働き方をヒントに,皆がどの仕事も担当できれば課題を解決できると考え,周りを巻き込んで従業員教育に当たった。モチベーションの違いに最も苦労したが,一人一人とのやり取りを増やすことと,皆が嫌がる仕事を先回りしてこなし信頼を得ることで協力を仰いだ。 (大4)学業の今一つの目標である「学科主席卒業」を、隙間時間を活用する地道な努力の積み重ねで達成する。高い志と戦略があれば何事も達成できると学んだ。もう少し学びたい思いと、志半ばで終わった大学受験の悔しさから大学院進学を決意する。 【2019年4月 千葉大学大学院 教育学研究科 学校教育学専攻 入学】 (修1)学費免除を貰う条件で進学したため,授業に最も力を入れる。外国人と交流の機会を持ちたく,夏から台湾人留学生のチューターを開始した。多くの人と会って話す中で,「外国語で世界を広げること」に原動力を見出していた自分に立ち返った。現在は,限られた知識と経験ながらも,「なりたい自分になる為に,仕事を通じて社会に何を還元したいか」を軸に就職活動中。 三井物産の本選考ESの回答です。 25 -
エントリーシート(総合職)
メーカー(自動車・機械・電気・素材) 2021卒 男性
21
このQAは三井物産の本選考ESの内容です。
Q 学生時代にあなたが行った最大の挑戦に関して、まず端的に述べてください。 その後、以下4つの要素を交えながら具体的に記述して下さい。(400文字以内) 1.挑戦した理由と期間、2.何を心掛けて行動したか、 3.どのような結果を出したか、4.挑戦から得た学び
A フルマラソンに挑戦したこと。私にとってフルマラソンは、陸上競技部に所属していた高校時代からの憧れであった。そのため、私は大学で陸上競技サークルに入り、マラソンチームを一から立ち上げ、約2年間5人の部員と共にフルマラソンの練習に励んだ。そして、全員で3時間台のタイムを出すことをチーム目標に掲げ、それを達成するために次の2つの事を心掛けていた。1つ目は、集中して質の高い練習を行う事である。42キロの距離に対応するために、1日平均20キロ程度を走るようにしていた。2つ目は、計画性を持つことである。目標達成までのプロセスを明確にするため、1ヵ月単位で練習計画の作成を行っていた。このように、計画性を持ち、質の高い練習を粘り強く継続した結果、約2年間の中で全員が目標タイムを達成することができた。この経験から、私は目標達成のためには粘り強さと計画性が肝要であることを学んだ。 三井物産の本選考ESの回答です。 21 -
エントリーシート(担当職)
メーカー(自動車・機械・電気・素材) 2021卒 男性
17
このQAは三井物産の本選考ESの内容です。
Q 自分史(2,000 文字程度。最大でも 2,500 文字以内) ※構成・文字数配分は4つのパートに分けて構成してください。また、全体の文字数に対する、其々のパートの文字数の⽐率の目安は以下の通りです。 小学校以前:10%程度 中学時代:20%程度 高校時代:30%程度 大学時代:40%程度 内容・留意事項 :事実の羅列を端的に、時系列でご記載ください。上記⾏動に⾄った経緯、および感想も簡単に補⾜してください。自分史はあなたの当社に対する志望度を測るものではありません。自分史の内容のみで合否判断はしません。改⾏は必要最低限にしてください。(サンプルの通り、小学校以前・中学時代・高校時代・大学時代別に分けていただく程度でお願いします。)自分史は入社後もチームビルディング等での活用も想定しています。
A 【小学校卒業まで】 (0歳)至誠会第二病院に生まれる。 (幼稚園)活発でよく笑う子供だった。周りの友達がサッカーをやっていた影響でサッカーを始める。点を決めた時に非常に喜びを感じた記憶がある。幼稚園では友達と滑り台やジャングルジムで遊んだり鬼ごっこをしたりと外で遊ぶのが好きであった。幼稚園の卒園式では、友人との別れが悲しく号泣した。 (小学校)家から5分ほどの公立に通う。1年生の頃から地元のサッカークラブに通う。攻撃も守備のポジションも経験したが、最終的にゴールキーパーにおいて多少の才能を発揮し選抜にも選ばれた。シュートを止めた時の爽快感が忘れられない。両親が教育熱心だったため、5年生ごろから塾に通う。正直勉強は好きではなく苦手であった。 2009年4月東京大学教育学部附属中等教育学校に入学 母の母校である国立の中高一貫校に入学。双子の研究が行われており、学年に15組ほど双子がいた。サッカー部に入学。1、2年生が前期課程、3~6年生が後期課程と呼ばれており、それぞれに分かれて練習をしていた。学校自体は弱小校であり、試合に出場することはできた。弱小校という事もあり練習も非常に緩く、自分もそこまで真面目に取り組んでいなかった。2年生時の大会で負けると後期課程と一緒に練習するようになる。2年時の大会で負けた時に悔しくて泣いたのは覚えている。中学生の頃から年の離れた先輩と関わることがあったため、あまり物おじしないようになった。勉強に関しては非常に成績が悪かった。英語の成績が悪く夏休みに補習に呼ばれてしまった。 2012年4月東京大学教育学部附属中等教育学校に入学 正確には中高一貫なのでそのまま進学。引き続きサッカー部に所属。高校1年生の時に当時の3年生が引退試合に負けて泣いている姿を見て自分も泣いてしまった。人の涙には弱いタイプである。高校2年生の時は少し真面目にサッカーの練習をする。先輩と出来るだけ長い時間一緒にサッカーをしたかったため、自分がチームを勝たせたいと思ったからである。試合に負けて、先輩が引退してしまう際に泣きながら「お前ら都大会いけよ」といわれたのはいまだに覚えている。自分も非常に悔しく泣きながら、自分たちの代では必ず都大会に行くと決意した。高校3年生になってからは周りの人に比べたら多少は頑張った記憶がある。今思うと雨の中でも一人でグラウンドでボールを蹴っていたりと、努力家の一面が少し見えていた。結果として都大会にはいくことは出来ずに高校3年生の4月にサッカー部を引退して受験生となる。だがいまいち勉強に気が入らずに気づいたら手遅れであった。 2016年4月早稲田大学社会科学部入学 (大学1~3冬)1年間の浪人を経て憧れであった早稲田大学に入学。今までの人生でまともに努力をしてこなかった自分を変えたいと思い浪人を決意した。非常に苦しい1年間であったが人生で一番の成功体験であり言葉では言い表せないほど嬉しかった。この経験は今でも自信になっており、辛いときに自分を支えてくれるものである。浪人を経て、物事に本気で取り組む中で壁にぶつかりそれを乗り越えることの面白さをしった。そのため大学においても何かに本気で取り組みたいと思いサークルを探した。その結果、早稲田で一番強く、規律もかなり厳しいと言われていたサークルの門をたたくことを決意した。新歓期の練習に行った際、レベルの高さに圧倒された。正直自分がそこでやっていける自信はなかったが、ここなら間違いなく本気で打ち込めると確信し入部を決意。3年間何度もやめたいと思ったことがあったが最後までやり遂げることが出来た。この経験は自分の中でも非常に大きく、当事者意識をもって他者を巻き込んでいき大切さを学んだ。だがチームとしての目標は達成できたが個人としての目標を達成できなかったのが今でも悔しい。達成できなかった要因としては、熱くなりすぎて盲目になってしまった事であると分析している。ここから目標達成のために必要な努力を選択する事の大切さを学んだ。これを学べたことが大学生活での1番の収穫だと考えている。 (大3冬以降)サークルを引退して本格的に就活活動を始める。最初は何をしていいのかわからず、とりあえずインターンのESをだしていた。サークルの先輩方が名だたる企業に就職していたため、自分も大丈夫だろうという余裕が生まれてしまった。その結果ことごとく面接に落ちてしまった。このまま社会人になったら必ず後悔すると思い4年生の8月に就職留年を決意する。 (大4)就活の時に足りなかった能力の1つである、PDCAサイクルを回す能力をつけたいと考え長期インターンシップを始める。内容としてはホットペッパーグルメの飛び込み営業である。そこにおいて日々行動の振り返りを行いPDCAサイクルを回すことを意識している。現在は、ここまで経済的な面で多くの負担をかけてしまっている両親に恩返しが出来るように、就職活動を行っている。自分の納得のいく会社にいくことが最大の恩返しになると信じている。 三井物産の本選考ESの回答です。 17 -
エントリーシート(総合職)
コンサル・シンクタンク 2021卒 男性
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Q 自分史(2000字程度、2500字以内)
A 小学校卒業まで (小1)友人に誘われサッカー少年団に入団する。 (小3)真面目な性格のため推薦で学級委員長になる。それ以降毎年学級委員長を務めた。サッカーでは合宿や遠征が多く厳しかったが、チームメイトと賑やかに過ごすことが楽しく好んで参加した。 (小4)漫画「NARUTO」にはまり、主人公の思いに共感し購読し始める。 (小6)少年団にてコーチの指名で主将になる。学年があがり練習が厳しくなったため忍耐力がついた。ここで県選抜にも選出される。勉強では、親に「高校受験で楽になるから中学受験しろ」と言われるが、友人と離れることが嫌で、「中学で勉強してよい高校に行くから受験しない」と退け、市立中学へ進学する。 2010年4月 高松市立太田中学校入学 (中1)サッカー部に入部。学年の中で上手い方だったので先輩の練習に混ざる。学校生活では、担任と馬が合い親しく接する。結局3年間同じ担任となり、委員長を務めながらクラスの中心として運営を行う。また、その先生が中心となり学年の有志で結成した劇団に所属し、3年生まで学校内外で人権劇を行う。 (中2)緩い顧問が着任したためチームの雰囲気がだれる。モチベーションが下がったが、先輩が夏で引退し自身が主将になってからは責任を感じ、練習メニューを顧問に打診し雰囲気を立て直す。学校生活では、担任に生徒会長への立候補を勧められ、期待に応えたいという思いから選挙に出馬し、生徒会長に就任する。以降、ボランティアや学校行事の運営を行う。 (中3)高校選手権に出場経験のある厳しい顧問が着任する。練習は厳しかったが、全国出場という目標を掲げ、オンオフのメリハリがある活動にやりがいを感じ、練習に打ち込んだ。しかし、初戦で優勝候補とあたりギリギリで敗れ引退する。また、宣言通りテストでは中1から常にトップ3を維持していたため、そのまま県下トップの高校に進学。 2013年4月 香川県立高松高等学校 (高1)サッカー部に入部。夏で3年生が引退した後はスタメンに定着するが、秋の大会後に怪我でスタメンから外れる。復帰後も先輩からポジションを奪い返せず、挫折を経験する。そこで同期に声をかけ自主練を開始する。学校生活では、クラスに同じ中学の友人が一人もいなかったが、自分から話しかけることを意識しすぐに打ち解ける。 (高2)部活では先輩が引退するまでポジションを奪い返せなかった。さらに部活に時間を割いたため学業の成績も落ち、自身のふがいなさと中学までは井の中の蛙だったことを痛感する。現状を変えるため、放課後に自主練をして帰宅したらすぐ就寝し、朝早く起きて勉強する習慣を作った。また、昼休みも勉強をした。これにより文武両方で成果が出始め、先輩引退後は副将に任命され、先輩を超える県ベスト4を目指しチーム改革に着手する。 (高3)部活ではチーム改革が成功し、県3位に入賞した。勝ち上がる過程で、試合後にチームのメンバーだけでなく、親や学校の友人など多くの人と勝利の喜びを共有し、ワイワイすることが好きだった。引退後は受験勉強に打ち込む。高2から成績は上向いていたが、京大には届かず受験に失敗する。 (浪人)予備校の代わりに高校がもう1年面倒を見てくれる「補習科」という制度があり、もう1年高校に通う。しかし自習が中心のため、1年間勉強するためには各教科で自分にあった勉強の仕方が必要だと考え、まずはインターネットや本で勉強の仕方を学び、自分流に応用しながらコツコツ勉強を継続した。当初は伸び悩んだが地道に継続するうちに点数が伸び、目標を決めてコツコツ打ち込むことが得意だと気づいた。この結果、第一志望の京大に合格する。 2017年 京都大学経済学部入学 (大1)浪人で技術・体力両面の低下を感じたこと、および大学ではサッカー以外の経験も積みたいと考え、部活ではなくサッカーサークルに入った。学業では簿記の勉強を始め、継続的に行い前期のうちに3級を取得した。秋頃までは友人と遊ぶことが多かったが、その継続では大学4年間を棒に振ると考え、2年生からのゼミを選ぶ期間は積極的にゼミ見学などに足を運び、比較的学生の意識が高いゼミの選考を通過した。周囲に流されやすいことを自覚し、積極的に行動したことが功を奏したと感じた。 (大2)サークルで運営代となり、幹部として合宿の企画運営を担当した。多くの学生に参加してもらい仲を深めたいと考え、合宿地の選定や旅程の作成および宿泊先や旅行会社の方との連絡など多くの業務を学生3人で担当し、その統括を行った。サークルに所属する120人のうち80人以上が参加し、満足の声が多数あがったため、やってよかったと感じた。学業ではゼミ活動に注力した。ゼミで行う企業訪問では、東京海上日動の本社を訪問し、班長として保険の商品提案を行った。この際、班のマネジメントに注力し、社員の方から高評価をいただいて優勝することができた。その他、スポーツジムのフロントとベンチャー企業の会社記事編集のアルバイトをかけもちした。スポーツジムでは、会員の利用目的に運動だけでなく、知人とのコミュニケーションも含まれていることがアンケートによって分かったため、会員の名前の暗記や会話を楽しむことを意識した。ベンチャー企業では、ショートカットキーやソフトツールの活用を模索し、記事編集の効率をあげる工夫をした。 (大3)社会人になる前に働く勉強をしたいということと、苦手意識のあるWebに強くなるため、教育系Webメディアを運営する企業にて長期インターンに参加し始める。インターンでは、サイトでバグを発見し、その発生の有無を定期的に確認する月次のタスクを作った。さらに、自身の仕事の範囲を広げることと、卒業後もタスクが回るようにするためにそのタスクをマニュアル化して、他の方に引き継いだ。その他、サイトから得られるデータを確認し、サイトの改修を行ったり、キャンペーンを行ったりしている。 三井物産の本選考ESの回答です。 11 -
エントリーシート(総合職)
メーカー(自動車・機械・電気・素材) 2021卒 男性
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このQAは三井物産の本選考ESの内容です。
Q 自分史 (2000-2500文字)
A (小学校)家から徒歩10分の市立に通う.小学2年生の夏から少年野球クラブチームに所属し,土日祝は小学校6年生まで野球漬けでした.また,部活動も野球部に所属していました.習い事は公文,ピアノ,スイミングを行っていたが最終的には学習塾のみに落ち着きました.その時は算数が得意でした. (中学校)小学校の時と同様に野球部に所属していました.小学校時代から野球をやっていたので,自分の投げるボールはスピードが早くポジションはピッチャーをしていました.また,クラブチームの時はスタメンに入ることはあまりなかったのですが,部活動レベルだとそこまで周りのレベルが高くなかったのでスタメンに入ることが出来,楽しんで取り組めていました. 小学校の時はわりと活発な方だったのですが,中学校に上がると自分が馴染みにくい人たちも多かったので大人しい性格になりました.また,勉強もそれなりに出来運動もそれなりに出来ていたので,この時が一番のモテ期だったと感じています. 小学生の時からたくさん走らされていたので,長距離走も短距離走もどちらも得意でした.そのため,持久走や50m走ではクラスで1,2番に入るくらいの実力がありました. 受験の際には,県内の私立大学の付属高校と自分の家から自転車で15分程度の公立高校を受験し合格しました.学費が安く家から近い公立高校に進学しました. (高校)高校3年生になる際に,担任の先生からこのままでは名前を書いたら受かるような大学にしか受からないと葉っぱをかけられ,その日から精力的に勉強に取り組みました.平日は学校帰りに名古屋駅の近くの学習塾に通い,家に帰ってからはお風呂に入り日が昇るまで勉強し仮眠を取ってから学校に登校するというアグレッシブな生活をしていました.将来の選択肢を広げたいと思い,県外のレベルの高い私立大学と県内の工業大学を受験し,県外の私立大学に進学しました. (大1)愛知県から京都に移ったので,1人暮らしを開始しました.春からさまざまなサークルの新入生歓迎会に参加し,自分のフィーリングに合うサークルを探し,その中でイベントサークルに所属しました.また隣駅にある居酒屋に5月からオープンスタッフとして卒業まで働きました.大学1回生のときの授業は教養の科目が多く高校の知識で試験を突破出来るような科目もあったので,適度にサボるようになってしましました. 夏休みには大学生と言えば留学というイメージが強かったので,オーストラリアに1ヶ月間だけ留学に行きました.ホームステイをしたため,海外の文化の違いを学ぶことが出来ました. (大2)春にはサークル活動での新入生歓迎を積極的に行いました.また,夏から次の年の夏にかけてサークルの副会長として,企画や運営に携わりました.その中で最も精力的に取り組んだのは,学園祭の模擬店です.責任者として材料の調達や原価の算出,目標の売上や日ごとの売り上げ目標,模擬店の看板の作成,学園祭の説明会などさまざまな活動に着手しました.今までの人生で大人数のリーダーを務めた経験がなかったため,この経験のおかげでグループを“統率することの難しさ”を痛感するとともに“達成感”を味わうことが出来ました. 大学の授業では,専門科目が比較的難しい科目が多く度々単位を落とすことがありました.このころから精力的にバイトをし,そのお金で長期休みに旅行にいくことが生きがいになっていました.また,趣味のツーリング,スノーボードもこのころからよく行くようになりました. (大3)サークル活動,アルバイト,趣味などが充実しており大学生活の中で一番楽しい時期でした.周囲で夏のインターンシップに参加するなどの話をしている人がおり,このころから大学院進学か就職するかを考え始めました.やるかやらないかなら,やる方がいいなと思い大学院に進学して研究活動をする道を選び,就職活動は全くしませんでした. (大4)研究室配属で自身の希望する研究分野にいくことが出来なかったため,他大学の研究室を受験することを決意し,実際に受験し合格することで希望の研究室に大学院から進学することが決まりました.またその後は取得出来ていなかった単位も無事に回収しストレートで卒業しました. 2019年4月 神戸大学大学院入学 (院1)京都での1人暮らしから神戸での1人暮らしになりました.ロボット系の研究室に入り,自動車の遠隔操縦についての研究がスタートしました.環境が変わり始めはとても不安でしたが,研究室の仲間が友好的であったので直ぐに打ち解けることが出来ました.また,博士課程には進学するつもりはなかったので短期のインターンシップなどにも精力的に参加しました.その中で,自分は将来どんな大人になりたいのか,そのためにはどんな企業に入るのが良いのかを考え,現在は就職活動に取り組んでいます. 三井物産の本選考ESの回答です。 6 -
エントリーシート(担当職)
コンサル・シンクタンク 2021卒 男性
6
このQAは三井物産の本選考ESの内容です。
Q 自分史(2500字以内)
A 小学校卒業まで (6歳) 地元の中日ドラゴンズが優勝したのを見て、野球が好きなった。 (小2から6)少年野球チームに入団する。元々補欠で自分に自信が無かった。その後出場のチャンスを得て、自分の一打でチームを勝利に導き、感謝されたことが大変嬉しかった。これ以降人に価値を提供することに強いやりがいを感じる。勉強大嫌いだった。 2011年4月瑞穂ヶ丘中学校入学 (中1)入学後の実力テストで、勘で答えた問題が全て正解し、学年2位の成績を取る。それ以降勉強が大好きになった。その後3年間テストで学年1位をキープし続けた。 野球部に迷いなく入部し、2ヶ月後には不動の4番打者になった。チームの中心に立ちとてもやりがいを感じていたが、10月に全治3ヶ月の骨折をしてしまい、とても悔しかった。 (中2)怪我が完治し再び4番打者に座った。その後経験値の豊富さと明るいキャラクターを買われ、主将に任命された。1つ上の主将が一人で意思決定するタイプで、メンバーが不満を抱えていたため、チームの方針を課題を共有した上でみんなで話し合う形をとった。また同時に、生徒会長に立候補し、当選した。盲導犬育成プロジェクトで、史上最高収益を出すことに挑戦した。 (中3)引き続き野球部主将と生徒会長の活動を頑張った。野球部では初のベスト8進出を果たし、生徒会では学校全体を指揮し、目標の最高収益を達成した。これらの活動を評価され、「名古屋市優良児童生徒賞」という賞を貰った。また、卒業式の「答辞」を任され、学年を代表して学校に別れを告げた。高校受験は第1志望に合格できた。様々なことに挑戦し、困難な中成果を出す喜びを感じたため、積極的に挑戦することを大切にしている。 2014年明和高校入学 (高1)元々野球をする予定だったが、先輩のかっこよさと目標に対する熱さに惹かれ、ハンドボール部に入部。始めはルールや動きが全く慣れず、野球がしたいと思っていたが、1つ上の先輩が全員初心者から県大会に出場する姿を見て頑張ってみようと思った。 また高1の春から予備校に通い、毎日勉強していたため、上位1割をキープできた。 (高2)部活では最高学年になりレギュラーになったが、秋の新人戦で私のミスが響いて県大会を逃し、直後に怪我をしてしまい、どん底に陥った。メンバーが前を向いて励む姿を見て復活しようと決意した。スキルやメンバーとの信頼を高めるため、献身的に行動した。技術と信頼を取り戻すには、人一倍努力を行うと共に行動で示す必要があると実感した。勉強面では、12月に受験勉強を開始した。部活を毎日行いながら4時間勉強を続け、体力との勝負だった。第一志望を京都大学に定めた。 (高3)部活は県大会を逃して4月に引退した。その後受験勉強を毎日頑張った。ただ私の挑戦心が黙っているわけがなく、受験期に行われる文化祭の劇の主役に立候補し、グランプリを目指した。7月から9月は全て劇の練習に費やした。他のメンバーは受験勉強を優先し、なかなか練習に来ない状況が続き、進めるのが難しかった。活動の必要性や目標を共有して共感してもらい、メンバーと信頼を築き、結束力を高めた。最後の行事で全力を尽くせ、最高の思い出になった。劇の後から勉強を再開したが、夏にサボったせいで模試でD判定を連発し、かなり厳しかった。それでも家族や先生の協力もあり、京都大学に挑戦した。最後まで勉強を続け、現役合格を果たした。 2017年 京都大学入学 (大1)入学直後に大学入試の合格開示を見て、0.2点差で合格していたことを知り、それがクラス中に広まり、0.2点差キャラとして友達が増えた。また10年以上スポーツに捧げてきたため、自由な時間を得た時にどんな行動を取るかを知りたいと考え、部活には入らなかった。加えて客として訪れた居酒屋が、高時給で楽しそうに働いていると感じて、そこでアルバイトをした。京都に初めて訪れて、京都の素晴らしさを実感し、この魅力を多くの人々に伝えたいと思い、観光案内所の学生団体に入った。外国人観光客と仲良くなり、悩みを聞き出して、それに対して助言をして解決するという活動だった。特に「バスの路線図が分からない」悩みが多かったため、路線図の看板を新たに作成した。その結果、この悩みを持つ人数が1/10に減少し、解決できたことが一番頑張った。英語は得意では無かったので、得意の情熱とジェスチャーを駆使して伝えた。この活動を2年間続けた。11月祭のクラス模擬店で代表を務めた。7月から準備を始め、最初はなかなかメンバーがモチベーション高く参加してくれなかった。しかし、信頼を築くアクションをとったお陰で最終的には全員が当事者意識を持って取り組んでくれた。売上目標20万円を達成し、「売上金で打ち上げをする!」という目標を達成できた。 (大2)父が自営業として、ゼロからから道を切り開き、自分の看板で多くの人を巻き込み、東海地区を大きく動かした姿がカッコいいと思い、事業を立ち上げてみたいと思うようになった。そして夏頃から受験生向けのメディアビジネスを立ち上げた。大きく発信して、「多くの受験生の悩みを解決して受験界を変えたい」と思い、スタートした。まずはユーザー1万人を目標と定め、最初の2週間はバリ島で海外のビジネスマンに混じって作業していた。最初の2,3ヶ月は全く成果が出なくて、0から形にすることの大変さを痛感した。その後顧客志向という大きな気づきを得たことが大きく、軌道に乗ることができた。そして半年後、目標の1万ユーザー獲得を達成できた。0から立ち上げ、価値を創造することに今までにない強いやりがいを感じた。またW杯にて、開幕前に優勝国を予想して、それが的中した。三大会連続で当てたため、分析力が強みだと感じた。 (大3)引き続きメディアサイトの運営を続け、現在約5万ユーザーを獲得している。同時に就活か院進か起業するかを迷っていた。全て比較した結果、大きな事業を展開したいと思い、就活すると決断した。 三井物産の本選考ESの回答です。 6 -
エントリーシート(総合職)
建設・不動産 2020卒 男性
29
このQAは三井物産の本選考ESの内容です。
Q 学生時代にあなたが行った最大の挑戦に関して、まず端的に述べてください。 その後、以下4つの要素を交えながら具体的に記述して下さい。(400文字以内) 1.挑戦した理由と期間、2.何を心掛けて行動したか、 3.どのような結果を出したか、4.挑戦から得た学び
A 役職者間の相互理解向上を目的に意見をまとめる調整役として活動したことです。私は大学直属団体において対外的なイベントを企画する役職を1年間務めました。理想の運営方式は役職者が一体となって企画を推進していくことです。しかし活動していく中で分業が進み役職者間の活動内容が共有できていない問題に気づきました。そこで全員がチームとして動いている認識を持つことが必要だと感じ、週一回の会議を提案し活動報告の共有を行うことにしました。会議では全員で議論を進める運営を意識しました。紙媒体に加えデータ上で議事録を作成すると共に前回の議論内容を確認する時間を設けることで欠席者も安心できるよう配慮しました。会議を続ける中で意見発信の機会が増えた結果、考え方に対する相互理解が深まり苦しい時には助け合う雰囲気を醸成できました。この経験から、課題を把握し行動することの必要性を学びました。 三井物産の本選考ESの回答です。 29 -
【内定】エントリーシート(総合職)
商社(総合・専門) 2020卒 男性
148
このQAは三井物産の本選考ESの内容です。
Q 学生時代にあなたが行った最大の挑戦に関して、まず端的に述べてください。その後、以下4つの要素を交えながら具体的に記述して下さい。1.挑戦した理由と期間 2.何を心掛けて行動したか、3.どのような結果を出したか、4.挑戦から得た学び (400字以内)
A 高校サッカー部で怪我を乗り越え、チーム運営に挑戦したことです。部の副主将としてプレーで部を引っ張っていこうと意気込んでいた矢先、怪我で長期離脱を強いられました。当初はかなり落ち込みましたが、監督に頂いた言葉に救われ、残りの1年間の間、自分が部を変えるという強い当事者意識をもってチーム運営に携わることを決断しました。部を客観的に分析して、選手の自主性を育むために選手が主導となってチーム運営をするボトムアップ制度の導入を監督やチームメイトに提案しました。話し合いを重ね、採用され、部の全員がそれぞれ違う役割をもった委員会に属することをルールとし、選手が中心となりチーム運営をすることにしました。その後、選手一人一人が以前より格段に部の為に尽くすようになり、部の歴代の最高成績を残すことができました。この経験から逆境をポジティブに捉え、当事者意識をもって組織の課題解決に取り組む重要性を学びました。 三井物産の本選考ESの回答です。 148 -
【内定】エントリーシート(総合職)
建設・不動産 2020卒 男性
68
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Q 学生時代に注力していたことを端的に記述してください。(最大4つまで)(各30文字以内)
A ・体育会の競技ダンスで選手として大会での優勝を目指した ・同じく部活で、マネージャーとして組織のエンゲージメント向上に努めた ・研究室での論文執筆を通して、PDCAを回し続けた。 ・投資の勉強をし、資産運用を行った。 三井物産の本選考ESの回答です。 68