フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ES
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エントリーシート(ITコンサルタント)
外資系企業 2020卒 女性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。
A 未知、または新たな環境やものに対しても積極的・前向きな姿勢であるのが私らしさだと考える。 小学校の時、クラス替えで仲のいいグループと離れ、一人だけ別のクラスになった際、直ぐに環境に適応した。最初は心細かったが、新しい友人を作る機会と捉え、従来の室内の遊びだけでなく、積極的に外でクラスメートと遊ぶようにした。最終的には新たな友人ができ、クラスにすぐ慣れた。 中学校の私らしさが現れた出来事は、一人暮らしを決意した瞬間である。両親の治安が悪い国への海外転勤が決まり、両親からは比較的安全な日本に残ることを勧められた。その際、家族と離れ一人で生活することに不安を覚えたが、中学生ながらにして自分の裁量で自立し生活することで周囲よりも成長できると前向きに考え、一人暮らしをすることを決めた。 高校生の時は、急に体制が変わり混乱した部内で、部長として部員を説得しまとめた。新たな練習方法や制度が顧問から伝えられた際、部員は不安や懸念を抱いていた。混乱の理由は、体制を変える理由とメリットがしっかり共有されておらず、変化に前向きになれていないからだと考えた。そこで、私は緊急の全体ミーティングを開き、以前の練習方法の短所が新制度でどのように改善されるか・今後どんな成長ができるかを部員に伝えた。その後メンバーは納得し、新体制の中でも落ち着いて熱心に練習に取り組むようになった。 大学生の時は、留学先にて運営側の理由で一人部屋から三人部屋に変えられた際、ポジティブに捉え上手く順応した。当初は、一人の時間が取りにくくなることを不満に思っていたが、一人じゃ出来ないことができるようになる機会と捉えるようになった。そこで、従来一人でやっていた家事をルームメイトと分担したり、第二言語でのネイティブとの会話を増やし、一人部屋では出来なかったことを積極的に導入した。結果的に、三人部屋に対する不満は無くなった。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 1 -
エントリーシート(ITコンサルタント)
IT・情報通信 2020卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 私は、昔から好奇心旺盛で、興味を持ったものにはとことん没頭する子供でした。新しいもの好きで、勝手に両親の携帯電話やパソコンをいじり、誰にも教わることなく、試行錯誤を繰り返して多少は扱えるようになりました。車やプロ野球に興味を持った時期もあり、車種やメーカーを詳しく調べたり、好きな球団のことを隅々まで調べるなど、趣味には時間も惜しまず、没頭してきました。中学生になると、ソフトテニス部に所属し、学生生活のほとんどを部活に捧げてきました。ソフトテニスが楽しく、練習すればするほど結果に現れる喜びや楽しさをモチベーションとして、積極的に活動してきました。外部のクラブチームにも所属し、練習には真摯に取り組んできました。その成果もあり、部内では一番手を務め、地区大会でも常にシードを獲得し、他校の選手からも一目置かれる存在となりました。高校に進学してからも、ソフトテニスに対する熱は冷めることなく、練習を重ね、県中部で三位の成績を挙げました。最後の大会では団体で県ベスト16に輝き、悔いを残すことなく引退しました。部活引退後は大学進学を考え、自分がやりたいことを学べる大学に進学するために、目標を立て、必死に勉強に取り組みました。結果的には、志望する大学に無事進学することができ、自分が定めた目標を達成することができました。大学生になってからは自分の好きなソフトテニスのサークルに所属し、幹部として積極的に活動してきました。私は広報担当の幹部であったため、新入生の勧誘に特に力を入れて取り組んでいました。その中で、様々な障壁に直面したこともありましたが、自分の好きなソフトテニス、サークルのために仲間と協力しそれらの壁を乗り越えることでサークルに貢献できたと感じています。これらのエピソードから私は、興味を持ったもの、またその目標に対してはとことんコミットできる人間であると自負しています。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(ITコンサルタント)
IT・情報通信 2020卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 小学生 「異常な負けず嫌い」 私はとにかく勝負事で負けることを嫌う小学生だった。特に幼少期から始めたサッカーで試合に負けたり、同じポジションライバルに負けることがとにかく嫌だった。そのため、試合に勝つため、個人として結果を出すために人一倍努力をした。例えば、チームの練習の前後1時間以上は自主練に費やした。 中学校 「多様なコミュニティに属す」 中学時代には、それまで関わったことのないコミュニティにも属すようになり、自分の視野を拡げることができた。これは私がサッカーでクラブチームに属し、学校は県内トップの進学校に通学していたことがきっかけだ。私は、小学時代はサッカー仲間いわゆるスポーツ好きのアクティブな友人に囲まれていた。しかし、進学校に入学したことでサッカー仲間だけでなく、文学に詳しい友人、海外経験のある友人り、勉強にのめり込む友人だったりと様々な考え、経験を持つ人々と交流することができた。 高校生 「文武両道の徹底」 高校は県内有数の進学校に進学した。そして入学にあたり、2つの目標を立てた。それは①サッカーで目に見える結果を出すこと②大学で強いチームに入るために勉強を頑張ることだった。そして、その実現のために日々勉強とサッカーに打ち込んだ。 大学生 「とにかく様々なことにチャレンジ」 大学では、自分の経験の幅を拡げるためにサッカーのみならず多様なことに挑戦した。具体的には、6ヶ月の交換留学生サポートなどである。このように様々なことに取り組んだことで自身の価値観を広げ、自分と深く向き合うことにも繋がった。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(コンサルタント)
IT・情報通信 2020卒 女性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。
A 私らしさとは3つあると思う。 それは新しい環境に飛び込むこと、集中して物事に取り組むこと、人を支える立場にあることです。 小学校:転校を3回繰り返し、新しい環境にすぐなじむ力を身に着ける。小学生ながら新幹線で1人で祖父母の家にいくチャレンジ精神の塊でした。 中学校:高校受験で第一志望合格するために、部活をやめ生活のすべてを勉強に捧げる。 塾に朝から晩までこもり、ひたすらに1日12時間程度勉強をする。親や先生にも反対されたが、最終的に合格の可能性30%と言われていた第一志望に合格しました。 高校:女子ハンドボール部のマネージャーの活動にすべてを捧げる。ハンドボールの経験もマネージャーの経験もなかったが、マネージャーの先輩の人柄に惹かれ入部。マネージャーというとドリンクを作ったり、ユニフォームをたたむ華やかなイメージがあるが、一番頑張ったことは、トンボをひたすらかけるグラウンド整備でした。2年かけてぼこぼこだった学校のグラウンドを完璧に平らにし、ハンドボール部以外の部活にも貢献することができました。 大学:ベンチャー企業での長期インターンシップに挑戦。それまでパソコンなどほとんど触ったことがなかったが、オウンドメディアの運用を行う。運用方針すら決まっていなかったメディアを仲間と作っていくことに楽しさを覚え月に100時間程度打ち込む。メディア全体のSEO対策からインタビューまで幅広く自由に業務を行う。1年目には新人賞(入社1年以内のインターン生の中で1番)をいただく。入社2年を目前にTwitterに興味を持ち始め、オウンドメディアからTwitter広告事業へ移動。また1から新しい事業に取り組んでいる。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(総合職)
IT・情報通信 2019卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 私は、好奇心、チャレンジ精神が強く、チームの一員として人を引っ張ることができる人間です。小学校時代、私は小学校での勉強だけでなく、より難しいことを知りたい、学びたいという気持ちがあり、親に言われるでなく自発的に親に頼み込み、小学4年生の頃から学習塾に通い始めました。その結果として、中学受験で、おそらく全国でも上位に位置する進学校に合格し、入学することができました。中学校時代、私の通っていた中学校では1~3年生の時にそれぞれ四国、信州、スキー合宿があり、私はその全てで旅行委員を務めました。旅行委員は、予定されている行程の下調べやしおり製作、クラスへの周知や連絡などを行い、人前に出たり、人をまとめ、人に頼りにされることが好きだった私には適職だったと感じています。高校時代、私は野球部に所属していたのですが、監督と選手の間で方向性の違いから不和が生じていました。人一倍チームワークや協調性を大切にする私は、持ち前のリーダーシップを発揮し、選手間および選手監督間で話し合いの場を設けました。監督との話し合いでは、選手の意見と、要望を正直に伝えました。その結果、お互いに妥協もありながらも理解しあうことができ、チームとしてまとまって活動していくことができました。大学時代、私はあまり英語が得意ではなく、苦手意識を持っていました。そこで私は、苦手を克服したい、あえて難しいことに挑戦したいと考え、短期の留学プログラムに参加しました。英語での授業やフィールドワーク、ディスカッション、プレゼンテーションを経て、私自身英語に対する苦手意識がなくなり、同じ研究室の留学生からは英語が上手くなったと褒めてもらうことができました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(アーキテクトタイプ)
エネルギー 2019卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。800文字以下
A 私は小学生の頃、中学受験を通し、何事も全力で努力する大切さを学びました。小学校の時、野球や4つの習い事に加え、塾にも通う忙しい日々を送っていました。しかし5年生の担任の「全て全力で取り組み、全て成功させなさい。」という言葉に感銘を受け、全ての習い事を続けながら受験に挑みました。全力で受験勉強した結果、第一志望に合格し、人生初の大きな成功体験となりました。この経験以降、妥協せず全てに全力になる癖がつきました。 私は高校生の頃男子バレー部で、責任感が自分の強みになりました。部員が自分1人しかいない時期が1年間あったからです。先代が守ってきたバレー部を自分が潰すわけにいかないと思い、1人で練習を続けました。周りの人に冷やかされ、十分に試合が出来ないのは辛かったですが、強く責任を感じ、”高校一厳しい部活”という風習を1人で守り抜きました。この経験を通して自分の貫徹力に自信を持ち、何事もやり遂げられるようになりました。 私は大学でアカペラサークルに所属し、独自の方法で自分のバンドを全国的に有名にしようとしました。バンド結成時は誰も知らないバンドだったため、広報活動として大阪から東京の各地でストリートライブを開き、全国で演奏しました。その話題性の結果、全国規模のライブに出演し、優勝して全国的に有名になりました。自分たちで新しい価値を創造する難しさと楽しさを学び、新しいことに挑戦できる仕事をしたいと思うようになりました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 2 -
【内定】エントリーシート(総合職)
商社(総合・専門) 2018卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。 (800文字以下)
A 小学生の頃、私は水泳、空手、柔道、英会話、体操を習っていました。少しでも興味を持ったらとりあえず突っ込んでみるといった小学生時代でした。 中学に入学してからはソフトテニス部に入部し、部活中心の生活を送りました。また、遊戯王というカードゲームにも熱を注いでいました。遊戯王は大人の遊びと言われる程、奥が深くとても頭を使うゲームです。私は大人も参加するカードショップの大会に3回出場し、2回優勝した経験があります。この頃から頭を使うことは好きでした。そして、「共学、ソフトテニス部が強い、家から近い、大学附属」といった条件で、母校である中大杉並高校を目標とし、AKBの動画を息抜きに受験勉強に精を出しました。目標を明確にし、リラックスしながら取り組めました。 高校に入学してすぐ、私はソフトテニス部でレギュラーになりました。しかし、公式戦で結果を出せず、2年の時にレギュラー落ちを経験しました。録画した自分の試合を観ると、プレイ中のフォームの軸がぶれていることに気づき、自主練として体幹トレーニングを毎日続けました。基礎を固めたことでプレイに迷いが生じなくなり、結果も出せ、レギュラーに返り咲きました。自分に何が足りないかを振り返る癖がつきました。 大学ではアルバイト中心の生活でした。稼いだお金は全てハイブランドにつぎ込みました。モテたい欲が人一倍強く、この頃から恋愛心理学に興味を持ちました。学ぶだけでなく、それを実践するため、合コン、街コン、ナンパ、相席屋、マッチングアプリなど、初対面の女性と会える機会を自ら行動して増やしました。恋愛心理学のテクニックを試し、自分なりに結果を分析し改善点を見出し、またそれを実践するといったことを繰り返し、より優れた成功パターンを今も模索しています。モテるためには時間とお金を費やすことを惜しみませんでした。私は目標達成のためにはどこまでもストイックになれる漢です。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 18 -
エントリーシート(総合職)
メーカー(食品・医薬・生活・他) 2018卒 女性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。 800文字以下
A 小学校では、好きなダンスを上達させるために、踊りの基礎であるバレエを習うことが必要だと考え、自分の意思で10歳から習い始めました。しかし周りの人たちは3歳からバレエ経験があり、自分の踊りの技術の未熟さに愕然としました。このような状況の中でも、全身で表現し、舞台を見ているお客さまに夢やロマンをお届けできることに喜びを感じ、週4日レッスンに通い続けました。 中学校でも、レッスンに通い続けました。勉強も好きで、成績が良いと校内で発表してもらえるので、負けず嫌いな性格から勉強にも励みました。勉強とバレエの両立は難しく、試験前にバレエを休むと「1日休むと自分に、2日休むと仲間に、3日休むと観客にわかる」という教えがあったので、勉強とバレエの板挟みになりました。しかし、今できることを精一杯やることで一つずつ乗り越えていきました。その結果、バレエではオーディションに合格し、プロの舞台に出演する夢が叶いました。 高校では、経営学に興味を持ち始め、本格的に勉強の道に進む決断をしました。10年近く続けてきたバレエを趣味に切り替えるのは簡単なことではありませんでした。しかし、お客さまに夢やロマンをお届けできるのはダンサーだけではないことに気づきました。舞台スタッフでも、踊りに関係のない業界の人でも、人の心を動かすことはできます。その可能性が沢山広がり、多様な選択肢があるのが勉強の道だと思い、大学に行く決断をしました。 大学ではジャズダンスサークルに所属しました。サークルは習い事とは違い、学生自身で1から作り上げる点に魅力を感じ、所属しました。具体的には、自主公演の舞台演出、振り付け、衣装などを1から考えました。また、サークルには大学からダンスを始めた人もいます。初心者にとってダンス経験者と踊ることの辛さを知っているので、経験者に追いつけるようなサポートや、居心地の良いコミュニティ作りを意識しました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 3 -
【内定】エントリーシート(アーキテクト)
コンサル・シンクタンク 2018卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。 800文字以下
A 【小学校】6年生の頃、友達と数独パズルでどちらが先に解けるか競い合っていました。互いに負けなくないという気持ちが強く卒業式当日まで新しい問題に挑戦し、結局勝負がつかないまま卒業しました。【中学校】卓球部の主将としてチームを県大会出場に導きました。私が主将になるまでの2年間はいずれも地区大会で1勝もできない弱小チームでした。私は主将になってまず明確な目標を立てるべきだと考えました。そのために定期的にミーティングを行いチーム内で目標を決め、達成するためにどのような練習をするか話し合い実践してきました。その結果、最後の大会では団体と個人両方で県大会に出場できました。【高校生】インターハイ出場を目標として部活に力を入れてきました。練習が多く毎日始発の電車で学校に行き、帰宅は夜9時をいつも回っていました。とても練習が大変で苦しかったため、部活を辞めたくなることもありました。しかし、皆苦しい中で頑張っているのだから自分も頑張らないといけないと強く思い、1度も休まず練習を頑張りました。その結果、最後には団体でインターハイ出場という目標を達成できました。この経験から、高い目標でも粘り強く取り組むことが重要だと感じました。【大学生】班長としてゼミナール大会に出場しチームの優秀賞獲得に貢献しました。初めは十分議論ができておらず教授からクラスで最下位と言われる程でした。そこで私は賞を取るためにはまず深い議論ができないといけないと思い、そのために「意見交換をする機会の増加」「各自の役割を明確にすること」が重要と考えました。加えて班で集まる際には、事前に話し合う内容を決め各自事前に調査を行ったうえで議論できるよう心掛けました。そして、各自の調査結果や考えを共有することで議論を深めることができ結果、優秀賞を獲得できました。この経験から、各自の考えや情報の共有がチームで活動する上では重要だと感じました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 6 -
エントリーシート(コンサルタント)
メーカー(食品・医薬・生活・他) 2018卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。 800文字以下
A 【小学生】 当時、下校後毎日のように友人と公園で鬼ごっこをしていました。他の人より足が遅かった私は自分が鬼になった時に非常に苦労しました。しかし、諦めずに追いかけ続けることによって、体力が尽きるか諦めるかをした相手へタッチをするようにしていました。現在の私の目標に向けて粘り強く努力する性格はこの頃に養われたのだと思います。 【中学生】 剣道部に入部しました。初心者であり、指導者もいなかったため、基礎から先輩に教わりました。初めての試合は一回戦敗退で、非常に悔しい思いをしました。そこで、先輩に紹介をお願いし、社会人のクラブや高校剣道部の練習に毎週のように参加しました。自分より格段に上のレベルの人と打ち合うことで、力を着けることが出来ました。最終的に区民大会でベスト8になることが出来ました。成長のために、チャレンジする重要性を学びました。 【高校生】 高校3年の10月に急遽志望校が変わり、偏差値20の向上という挑戦をしました。偏差値20を向上させることは出来たのですが、試験当日はうまくいかず、補欠で不合格となりました。滑り止めで妥協するのは悔しいと思い、浪人を決意しました。お金のない家庭であったので、予備校に通わずアルバイトで受験料を貯め、独学で勉強しました。最終的にさらに成績を向上させることが出来ました。この経験から自分で考え、妥協せずに取り組む姿勢が身に付きました。 【大学生】 陸上部中距離パートのチーフとしてチームの運営に尽力しました。個人競技である上に、競技レベルが様々なチームであったため、目指す目標が個々で大きく異っていました。全員の毎回の練習記録管理と動画による分析に加え、毎日個別に競技以外のことも含め、会話をすることを意識しました。そうすることで、信頼関係を構築し、個別に異なる解決策を考え、全員が自己ベスト更新を達成出来ました。この経験を通して、人の成長に貢献する喜びを感じることが出来ました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(経営コンサルタント)
金融・保険 2018卒 女性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。
A 小学校】勉強が得意でした。クラスメイトから頼られることも多く、学級委員を務めたこともありました。また、考えることが好きで、「大人になったら、人に触れるだけでその人の心が読める」など突拍子もないことをよく考えていました。 【中学校】中学3年生のときに、写真部を創部しました。部員を同級生の中で探すと同時に、中高一貫校であったため、上級生で写真部に興味ある人がいないか情報を集めました。結果的に、部活をつくるための規定人数以上の部員を集めることができ、中学入学当時から創りたかった写真部を創部することができました。 【高校生】高校1年生、2年生で文化祭実行委員を務めました。 もともと、美術が好きで、何かを作ることが好きであったため、「文化祭の顔」でもある、校門前に設置するゲートを制作する部門を2年連続担当しました。高校2年生では、ゲートのデザイン、 設計も担当し、今までにないものを作ろうと奔走しました。結果的に、先生方や来場者の方からも好評を得ることができました。 【大学生】大学1年生の終わり頃、あっという間に1年間が終わったことに危機感を感じました。また、大学内、アルバイト先という限られたコミュニティにしか自分が属していないことにも気づきました。 そこで、大学2年生の時に学生団体に参加することにしました。 自分の知らない環境に飛び込むことに少し緊張もしましたが、新しい環境に身を置くことへのワクワク感が勝り、加入を決めました。 また、大学2年生、3年生では、成績優秀者特待生に選出されました。これは、課外活動と同時に学業を怠らなかった自分自身の努力が認められた結果だと思います。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 2 -
エントリーシート
コンサル・シンクタンク 2017卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。 800文字以下
A 小学生:熱中すれば「二兎でも三兎でも」追う。6年生の夏には、1週間で「そろばんの東北大会」「サッカーの県大会」「ソフトボールの県大会」に出場し、全部で勝利の結果を勝ち取った。「天才児」と呼ばれ調子にのった。更に、その後偶然にもNHKからの取材を受けることができ、私は完全に天狗状態になった。 中学生:野球部に所属し4番打者として活躍するも、最後の1年間は公式戦打率0割。周囲からは「器用貧乏」と呼ばれ、自分自身の実力の無さに絶望した。高校は東京の学校に通って実力をつけようと決心。 高校生:“自他ともに満足できる結果”を残すことを目標に「超・文武両道」を掲げた。3年の夏休みは1日10時間勉強・6時間の部活動を両立させてがむしゃらに頑張った。部活はダンスをしていたため、この時は「踊る参考書」と呼ばれていた。東大受験ではまさかの「数学9点」という自己最低記録で不合格を喫したが、ダンスでは全国優勝を果たした。 大学生:1週間毎日スーツを着ていた。それまで塾や予備校とは無縁だった私は、社会経験のつもりで塾講師のアルバイトを始めた。しかし、始めてみると悲惨な経営状態が目に飛び込んできた。「給料最優先の教師」「授業という生徒の睡眠時間」「第1志望って何だっけ」という悲劇を繰り返さないために、私は夢に見た「華の大学生活」を捧げてしまった。やるからには本気を出そうと、コンサルタントとして活躍する先輩に相談。その中で様々な改善案を実行し、生徒数を74名から125名にまで増加させることに成功。3年間で塾全体の平均偏差値も52から61にまで上昇させることができた。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 1 -
【内定】エントリーシート
卒
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 自分の考え方に影響を与えた出来事と、それによりどのように自分が変わったのかをエピソードと共に教えてください。また、その題材を選んだ理由も教えてください。
A 目標達成のために何が必要か見極め、どういった行動がベストかを常に考え行動することを家庭教師のアルバイトで学び、課題に対してどういったニーズがあるか分析できるようになりました。 学部時代の家庭教師のアルバイトで、小学校6年生の生徒から依頼があり、家庭教師をした経験からです。それまでの生徒と同じ教え方では成績が上がらなかったことが最大の困難でした。そこで、成績が上がらない理由は勉強法に問題があると判断しました。そこで、『生徒に先生役をやらせる』と『60分勉強法』いう勉強法を導入し知識の定着化を図ることと同時に、私は過去の入試問題10年分と受験データを集めて分析し、指導内容を修正しました。 具体的には、『生徒に先生役をやらせる』という勉強法は、記憶の定着にはインプットだけでなく、記憶をアウトプットすることが重要であると私の大学受験の経験で思っていたことなんで、生徒が一度覚えた気でいることを私に説明させることで記憶のアウトプットを図りました。 そして、『60分勉強法』いう勉強法は、1時間の勉強時間の中に暗記と復習の勉強サイクルを導入し、知識の定着化を図りました。この2つの工夫に関しては、主に記憶を増やすためです。この生徒は一度やったことをすぐ忘れてしまうという弱みがあると当初自分で言っていたのですが、それは復習や、アウトプットなど、記憶を定着化し、「忘れない工夫」が足りていなかったため、このような工夫をしました。そのことと同時に、一度やったことを忘れてしまうことが、勉強時間、労力共にもったいないと感じたからです。目標を持った彼は私の話を真剣に聞き、一つ問題が解ける毎に自信をつけていき、偏差値が65の志望中学に合格しました。これが、私がその生徒の未来を創造した経験なので、この題材を選びました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 6