フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ES
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エントリーシート(コンサルタント)
エネルギー 2023卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 小学校 6年生の時にサッカーの試合で勝利することを目標に努力しました。私が所属していたサッカー部はあまり活動的ではなかったため、私はそのチームで勝利したことがありませんでした。そこで私は、卒業までに試合で勝ってみたいという想いから他のメンバーを誘ってポジションごとの試合中の動きなどを確認しながら練習に励みました。その結果、3戦中1勝することができ、チーム一丸となって努力し成果を上げることの面白さを実感しました。 中学校 ニュージーランドでのホームステイで周囲と打ち解けるよう努めました。当時の私は英語に苦手意識がありながらも様々な経験がしたいという想いから一人で海外という未知の環境に飛び込みました。初めの頃は心細く委縮してしまい現地の方と上手くコミュニケーションを取ることができませんでしたが、帰国する頃には身振り手振りを交えて積極的に英会話を行いホストファミリーや現地の友人と打ち解けることができました。 高校 テコンドー部で黒帯をとることを目標に努力しました。顧問の先生の演武のキレの良さに感動したことがきっかけです。私は型をこなすには技術よりもまずは体づくりが必要だと考え、自主的にランニングと体幹トレーニングを行いました。部活動と両立するのはかなりハードでしたが、徐々に体力と体幹が向上していくのを実感してモチベーションを維持していました。その結果、高校2年生で黒帯の昇級試験に合格できました。 大学 学内の研究発表会に向けて努力しました。学部時代は一人で考えた考察を基に次の実験計画を立てていたため、経験と知識が浅いことが原因で間違った方向に研究を進めてしまうことが多々ありました。その反省を活かして、大学院では考察する際に自分一人で考えた上で研究室のメンバーに意見を求め、多角的な視点で議論するように努めました。その結果、無事発表できただけでなく研究内容への理解が深まり自身の成長に繋がりました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(ITコンサルタント)
IT・情報通信 2022卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校、大学の年代順に簡潔に (800字以内)
A 私らしさが最も現れた小学校の経験は、好きなことに没頭することである。2年時に本格的にサッカーを始め、21歳になった今でも続けている。毎日休み時間にサッカーをし、放課後にも友達とサッカーをし、休日には少年団でサッカーをするというように、サッカーに夢中になっていた。試行錯誤しながらサッカーの楽しさを見出し、スキルを上達させることができた。 中学校の経験からは、何事も器用にこなせるということだ。小学校に引き続きサッカーを行いながら、勉強、陸上、ピアノも真剣に取り組んだ。勉強では、志望校に合格でき、陸上では学校の駅伝代表選手に選ばれ、ピアノではクラスの合唱の伴奏を務めた。このように、真剣に取り組む物事に対して、器用にこなし成功することができる。 高校の経験からは、自分で決めた目標に対して圧倒的な努力ができるということだ。文武両道を高いレベルで極めるという目標を立て、努力をした。具体的には、学修面では、娯楽を完全に排除したり食事中に単語帳を見たりして勉強時間を捻出した。サッカー面では、筋力強化を実施し、入学時に比べて体重を10kg増量させることに成功した。以上のような自分にしかできない努力を行い、12月中旬の引退試合まで部活動を続けながら、第一志望に合格できた。 大学の経験からは、周りの人の強みを引き出し、チームとして大きな成果を上げることができるということだ。体育会サッカー部の副主将として、練習を統括する役割を担った。その際、自分のプレーだけに集中するのではなく、周りの選手のスキルや練習内容に対する反応を見極めることを意識した。あるプレーが苦手な選手や練習の意図を把握できていない選手がいることを理解し、その選手に最適なアドバイスをして自主練習に付き合ったり、より詳しく練習内容を説明したりした。仲間のプレーの質を向上させ、全体の練習精度を高め、チームを強化することに成功した。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(アーキテクト)
コンサル・シンクタンク 2022卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。 (800文字以下)
A 【小学校】中学受験の経験です。私は小学生の時に中学校受験を経験しました。親戚が中学受験をしていたこともあり、自身にとって中学受験が身近に感じていたこともありましたが、学べることの広さ、新たな人たちとの出会いに惹かれ中学受験を決意しました。周りに流されず、自身のやりたい道に突き進んだ最初の出来事であったと感じています。 【中学校】硬式テニス部においての活動経験です。熱い気持ちや素直さなどに魅力を感じ、松岡修造さんを尊敬していた自分は、中学で硬式テニス部に所属しました。練習においては、イメージしていた爽やかな印象とは異なり、走り込みや筋トレなどハードなトレーニングが多く、辞めてしまう同期もいました。その中で自身は、厳しい練習を成長機会と捉え、部活動に励んだことで、粘り強く努力する忍耐力を養うことができました。 【高校】英語の勉強に関しての経験です。私は高校一年生の時まで英語が一番の苦手科目でした。しかし大学受験を意識し始める高校二年生を機に、苦手科目である英語を克服したいと考えるようになりました。なかなか成績が上がらず苦労する時もありましたが、根気強く学習を続け、大学受験時には、英語を一番の得意科目へと変えることができました。 【大学】ソフトウェア系の研究室に進むことを決めた経験です。私の所属していた総合機械工学科は機械工学の中でハードウェアとソフトウェアの両方の知識を学ぶことのできる学科でした。しかしソフトウェア系の研究室は少なく、授業の割合としてもハードウェア系の授業が多いことが現状でした。しかし、難しさの大小はあるが本当に自分がやりたいと思う分野はどちらなのかという視点に立ち返り、ソフトウェア系の道に進むことを決めました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 1 -
エントリーシート(総合職)
コンサル・シンクタンク 2022卒 女性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字)
A 小学時代の出来事は、6年生の書初め大会だ。私は5年生まで金賞を取り続けており、最 後の年も絶対に金賞をとりたかった。先生にその気持ちを伝えたところ、「100枚書け」と言われ、冬休みに私は書いた100枚を先生に持っていった。 100枚書いてみると、仮に金賞でなくてもここまでやった自分に納得する気持ちが生まれた。結果は金賞だった。この経験から、努力は報われること、仮に結果が出なくても必ず自分の力となることを学んだ。中学時代、私は新しいことに挑戦したいという思いからバスケットボール部に入部した。初心者だった私は、周りに早く追いつくために、登校前に毎朝自宅でハンドリング練習やランニングを継続した。その結果、1年生の冬からレギュラーになり、最高学年にはキャプテン兼部長としてチームを引っ張る存在となった。結果を決めるのは環境ではなく自分自身であり、始めから諦めない大切さを学んだ。高校時代もバスケットボールを続けた。仲間との信頼構築の大切さを最も学んだ重要な時期だった。部活動を辞めそうになった仲間の相談に乗った際、私は最初その悩みを勘違いしていた。 しかし、その後も寄り添い続けることで真の悩みを明かしてくれるようになり、解決に導くことが出来た。この経験を通し、信頼構築は相手の真のニーズを理解することに繋がると感じ、今後も信頼を大切にして生きたいと強く思った。大学時代は多くの経験や人に出会うために旅行を頻繁にした。中でも友人と四国をヒッチハイクで1周した旅行が最も印象に残った。ただ行きたいから行くのではなく、事前にルールや車が見つからなかった際の別ルート、旅の目的を決めた。結果は計画通りにうまく進み、合計12台の車が協力して下さった。助け合いの温かさや新しい人・地域との出会いに人生が豊かになった。人生における多くの経験は、目標達成のための計画・努力と仲間の存在を大切するという今の自分に繋がっていると感じる。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(総合職)
マスコミ 2021卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 【小学校】 レクリエーション係に所属し、お楽しみ会等クラスが楽しめるようなものを企画していた。6年生の時、今までと違うお楽しみ会をやりたいと提案し、係全員で話し合った。その結果、仮装大会とプレゼント交換をやる事になった。クラス皆の賛同を得て、担任の先生に提案したところ、協力してくださった。準備は大変だったが、本番では皆楽しんでおり、何かを企画し、実行する楽しさを知った。 【中学校】 小学生の時から所属している合唱団の演奏合宿にて、班長を務めた。最初、言うことを聞かない小学生に対して、怒ってしまう事が多かった。その様子を見ていた大人のリーダーから、「いい具合に適当にやりな」とアドバイスを貰った。この言葉を受け、色々言わずに、見守る方針に転換した。未熟だったにも関わらず、最後小学生に楽しかったと言われ、とても嬉しかった。 【高校生】 陸上競技部に所属し、短距離のブロック長を務めた。私の部では、部員が練習メニューを決める方針だった。しかし、走り込みをしたい人と技術的な練習がしたい人で衝突してしまい、なかなか方針が決まらなかった。私は、練習の効果を知らないと何も決められないと思い、専門雑誌を読み色々な練習の意味を勉強し、両者を取り入れるメニューを組み立てた。また、顧問に技術的な事を教えて欲しいと頼み込んだ。その結果、皆満足し、ブロックが1つになって練習するようになった。 【大学生】 演劇研究部の部長を1年間務めた。お客様を楽しませるには、自分たちが楽しくやる必要があると考え、部員全員が楽しく活動できる環境づくりを心掛けた。そのため、部員が考えた新しい活動の企画を提案しやすくした。舞台の拡張、新しい部内公演等提案を受け、部会で取り上げた。なるべく部員がやりたい事を全てやりたかったので、どうすれば上手くいくか考え、話し合った。部員が楽しくできる環境は引退した今も引き継がれており、とても嬉しく思う。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 2 -
エントリーシート(営業)
メーカー(自動車・機械・電気・素材) 2021卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 【小学校】地元のサッカースクールに通っていました。当時から非常に負けず嫌いな性格で大事な試合で負けると、悔しくて涙を流していた記憶があります。 【中学校】中学でもサッカー部に所属しており日々サッカーに励んでいました。1年生の頃から試合に出させていただいていました。自分たちの引退試合では小学生の時と同じく、負けたことが悔しく涙を流しました。 【高校】高校3年次に勉強を本気でやっていなかったことにより、受験に失敗してしまいました。浪人するか合格した大学に進学するかで非常に悩みましたが、今までの人生を振り返った際に本気で物事に取り組んだことがあまりなく、そのような弱い自分を変えたいとの想いで浪人を決意しました。当時の偏差値は40台で、その状態から1年間で早稲田大学を目指すのは非常に困難でしたが、早稲田への想いを捨てきれずに第一志望を早稲田に設定しました。浪人生活の中では質と量を意識していました。質に関しては、移動中に行う事とデスクで行う物を分けたことなど、量に関しては1日最低でも14時間以上は勉強することを意識していました。そうして数々の困難を乗り越えた結果無事に第一志望の早稲田大学に合格することが出来ました。この経験から、物事に本気で取り組む中で壁にぶつかりそれを乗り越えていく事の面白さを学ぶことが出来ました。 【大学】下記とは別に、サッカーサークルでの個人としての事に焦点を当ててお話します。浪人期の学びから、大学でも本気で物事に取り組みたいと考え、レベルが非常に高い且つ規律も厳しいと言われていたサッカーサークルに入ることを決意しました。弱小校出身の私にとっては、練習で上手くいかないことがほとんどで非常に辛い時期が長かったです。そのような状況でも自分の目標を叶えたいという強い想いと、逆境を自分自身のメンタル的な成長に繋げようとポジティブに捉えることで乗り切ることが出来ました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 1 -
エントリーシート(ITコンサルタント)
IT・情報通信 2021卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 小学生 様々なスポーツに興味を持ち、活動していたことです。体を動かすことが好きで、サッカー、水泳、野球などを行っていました。特に野球、水泳は6年の最後まで続け、水泳では上位のコースで様々なメダルを獲得する、野球では県大会に出場し1勝することを目標にチームで努力をしました。個人スポーツである水泳では自分の泳ぎの問題点を見つけること、チームスポーツである野球では自分の役割をどう果たすかに力を入れてきました。 中学生 文武両道を目指し、部活動と学業を全力で行ったことです。文武両道を目指す中、どちらかに偏らないようにするのが困難でした。そこで、部活動をする時間、勉強をする時間をはっきりと区別し、区切られた時間の中で全力を出し切るようにしました。特に部活動では団体戦において県大会出場を目標としており、主将としてチームの士気を上げること、全員が全力を出せるような声掛けに力を入れてきました。 高校生 怪我を乗り越えたことです。部活動のソフトテニスにおいて高2の秋に肩に怪我を負いました。練習したい気持ちとは裏腹に怪我が悪化する状況が続き、試合で勝てなくなりました。そこでラケットを持つことをやめ、今まで苦手だったフットワークの強化に尽力しました。結果、目標であった県大会出場を果たせました。この経験から、諦めずに試行錯誤する精神力を身に着け、問題解決の手段の多様性も感じることができました。 大学生 ダンスで猛練習をし、1年でセンターに選ばれたことです。楽しむ目的で入ったサークルが実力主義でした。しかし、実力がないという理由で辞めるのは悔しく、結果を残してやめると決意しました。同時期の理系の授業、他サークル、留学資金集めなども行っている中、授業の合間、移動時間などのスキマ時間に猛練習することで練習時間をカバーしました。結果、1年でセンターを任せてもらい、公演も見事成功に収めることができました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 2 -
エントリーシート(コンサルタント)
コンサル・シンクタンク 2021卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 小学校 私は夏になると、昆虫採集に出かけていました。特にクワガタがとても大好きで、昼に餌を仕掛けに、夜に再び餌を仕掛けた場所に出かけました。このエサの仕掛けから、実際のクワガタの捕獲までの過程に、友達との遊びや勉強を忘れてしまうくらい非常に夢中になってしまいました。私の、一つのことに夢中になると他のことは気にならなくなるという一面が現れていたと考えられます。 中学校 中学校では、英語が最も得意科目でしたが、一度悪い点数を取ってしまったことがありました。その悔しさがあまりにも大きかったので、必死に勉強し、英語を得意科目だと自信を持って言えるようになり、悪い点数をこの後取らなくなったというエピソードがあります。この時は、私の、悔しいと心から感じたことに対し、その悔しさに真っ直ぐ向き合い、物事に取り組むという一面が現れていたと考えられます。 高校生 高校三年生の5月、所属していたサッカー部の現役での活動を終え、本格的に受験勉強を始めようとしていた時の話を紹介します。その当時、頭では部活動の時間を受験勉強に充てるとは分かっていたのですが、無意識に運動、特に筋トレの時間を作ってしまい、どうしても運動をしたいという想いが強くなってました。周りからは反対意見が出ていたのですが、周りの目は一切気にしていませんでした。やりたいと思うことがある時は周りの目を気にしないという一面が現れていたと考えられます。 大学生 大学4年の卒業記念として、一人旅に出かけた時の話を紹介します。鉄道で、鬼怒川温泉に一泊旅行に向かいました。全行程完全に一人で旅をしました。宿泊した宿では、圧倒的にグループでの旅行者が多かったのですが、自分が楽しめているかどうかだけが一番大事なので、周りの目は一切気になりませんでした。周りの目は気にしないという一面が現れていたと考えられます。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 1 -
【内定】エントリーシート(パワフルフロンティア)
コンサル・シンクタンク 2021卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800字)
A (1)小学生の頃、私らしさが現れたのはサッカー少年団で唯一大会メンバーから外されたことです。私は3年生からサッカーをしていましたが5年生の大会で25人中唯一登録メンバーから外されました。大変悔しく、皆の倍努力しようと翌日から1年間朝練をし続けました。結果、6年生の最後の大会でレギュラーに選出されるまで成長しました。(2)中学生では体育祭の団長を務め、優勝を成し遂げました。私はクラスメイトの推薦により団長になりました。1年生から3年生まで約120人をまとめる必要があり、何もわからない一年生や不真面目な人がおり、まとめることの難しさを知りました。そこで準備期間の1ヶ月間、毎日昼休みに低学年クラスに顔を出し、現状の確認やチームの鼓舞をしました。またやる気のない人にもチームに貢献してもらえるよう熱意を持って説得しました。結果、優勝ができ、リーダーシップが身につきました。(3)高校では新しくラグビーを始め、初心者のみで市大会優勝を成し遂げました。入学時、サッカーを継続したいと思いましたが、新しい環境への好奇心、ラグビー部の雰囲気に惹かれ、入部を決めました。私たちは初心者しかおらず、肉体的にも技術的にも他チームと比べ劣っていました。そこで毎朝筋トレすることを導入、また戦術面で数的優位を作る練習を導入しました。結果として市大会優勝をすることができました。人生の中で最も厳しい3年間でしたが、困難な状況を工夫する力、やり切る力がつきました。(4)大学生活では同級生9人で高校の同級生300人を集めた同窓会を企画しました。動機は20歳という節目の年に皆の一生の思い出を作りたいと思ったためです。1年前から計画を立て、準備に取り掛かったことで集客や集金、当日の企画など滞りなく進めることができ、同級生に喜んでいただくことができました。私の強みである計画性が活かされた出来事だと思います。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 3 -
【内定】エントリーシート(ITコンサルタント)
コンサル・シンクタンク 2021卒 女性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q あなたらしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校、大学の各年代順に簡潔に書いてください。(~800字)
A 私は自分で目標を設定し、ひたすら努力を続けることで、物事を徹底的に極める人間です。たとえば小学校の時は、絵を描くことが好きで上手くなりたい一心で、毎日広告の裏を使って漫画の絵を見ながら真似する練習をしていました。一度書き始めると、完成するまで3時間は机から離れずに描き続けていました。中学では、志望校合格を目指し毎日塾に通いつめました。朝から夜まで15時間塾に居座り、家には寝るためだけに帰る生活でした。入浴中や就寝前も常に勉強やスケジュールの事を考え、いかに効率的に時間を確保するかを計算していました。また先生達に自分から課題をもらいに行き、塾にある大量の問題集も大多数を攻略しました。周りの学生の誰よりも受験のことを考え、時間と労力を捧げた自信があります。高校では、部活動に専念しました。厳しい部で新入部員の3分の1が辞める中、私は弓道がうまくなりたい一心で毎日ひたすら全力を注ぎました。部活内の練習に加え、任意の朝練には家が遠くても朝5時半に起きて毎朝参加し、家では独自の筋トレを毎晩こなして汗をかき、行き詰った時は自ら先輩の所へ指導を請いに行きました。そこまで努力しないと掴めないチャンスや、そこまでしても得られない結果もありましたが、結果に関わらず最後に自分が満足できるかどうかは自身の努力次第だと学びました。大学では、語学力向上に専念しました。1年の時、すでに高い語学力を持つ周りの学生と、授業にさえついていけない自分との大きな差にコンプレックスを感じていました。そんな私が、努力を経てその挫折を乗り超え周囲と同じレベルまでのし上がり、且つそこから彼らを超えるまでに至りました。留学中における様々なアプローチ(ボランティアやサークル活動の積極的参加や毎日のスピーチ練習など)を行なって、最後まで英語力を伸ばすという目標を諦めずに踏ん張った結果、3年でTOEIC910点取得までに成長しました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 7 -
【内定】エントリーシート(ITコンサルタント)
コンサル・シンクタンク 2021卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 私の小学校はあまり治安が良くなく、決まりを守ろうとしない児童が大勢いました。私もその1人で、よく悪ガキ仲間とつるんで買い食いなどをしていました。一方、児童会長として児童の見本とならなければいけない立場におり、クラスの治安維持や挨拶運動などにも貢献し、真面目な児童との親交も多く先生方からも一目置かれていました。八方美人な性格で、交友関係が広かったです。 中学校では吹奏楽部に所属し、毎日練習に打ち込みました。2年の冬に、8人の小編成でグループを組み演奏会に出場しました。中学生の女子は陰口をし始める時期であり、メンバー内でも対立が起きました。毎晩私の家には複数の電話がかかってきて、メンバー内の悪口を聞く係になりました。メンバー内の人間関係を調整するつらい役目に見えますが、私は相談に乗ってあげられることに喜びを感じました。 高校生では合唱コンクールの指揮者を務めました。クラスにはモチベーションの高い人、低い人がいます。特に男子が歌わない、ということはどこの学級でも往々にしてあると思います。私のクラスもそうでした。しかし、中途半端な練習で賞が取れなかったら後悔すると思い、男子を歌わせたいと考えました。歌わない原因をヒヤリングしていく中で、正しい音程がわかっておらず自信をもって発声できていないことが最大の原因だとわかりました。その後、男声・女声別の練習メニューを組むことで、男声を集中して音とりすることができ、質の高い合唱に仕上げることができました。 大学ではずっと続けていた吹奏楽団で○○という新しい形式の演奏会の企画に挑戦しました。初めてのスタイルにとまどう団員もいましたが、直接足を運んで説明し、時には譲歩しながらお互いの妥協点を探ることができました。最終的には団員70名の協力を得て、アンケートでも好評をいただく演奏会に仕上がりました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 8 -
【内定】エントリーシート(ITコンサルタント)
コンサル・シンクタンク 2021卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小中高大の各年代順に簡潔に書いてください(~800文字)
A 【小学校】運動会や卒業式で学校の旗を持って行進する校旗団や、学級委員などを積極的に行ったことです。この経験で、リーダーシップの土台のようなものが養われました。 【中学校】県内一の進学校に逆転合格したことです。2年生の時に獣医師への憧れを持ち、獣医師になるためには良い高校に行く必要があると考えたからです。当時は学年でも半分以下の成績でしたが、そこから戦略的に努力し、見事志望校へ合格することができました。この経験により、目標達成のための計画の重要性を認識しました。 【高校】彼女が途切れなかったことです。私の高校は男子校であったため、自ら積極的に行動して繋がりを持ち、マメに連絡を取ったり、相手を楽しませるような会話を意識したりすることで達成しました。この経験により、相手の些細な心情の変化を察知したり、相手に合わせて会話を組み立てたりするようなコミュニケーション能力が身に付きました。 【大学】馬術部で主将として部を運営したことです。部の抱えている問題を、その根本的原因を究明することで解決しました。これは、部活に対する価値観の違いを、どちらかを否定するのではなく、両者を尊重することで達成しました。この経験から、様々な価値観が集結する事がイノベーションには重要だと考えるようになりました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 10 -
エントリーシート(アソシエイトコンサルタント)
IT・情報通信 2021卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 小学生の低学年の時は、考えてすぐに行動するような人でした。毎日学校が終わり、遊びたければ友人を誘い公園で運動をしたり、友人か私の家でゲームをしたりしていました。遊び以外でも小学生の高学年になったときには、委員会で委員長に立候補して実際に経験しました。中学生の時も積極的に行動する人物でした。考える前に行動より迷ったら行動するタイプでした。特に顕著に出た出来事としては、生徒会長を1年間経験させて頂いたことです。小学生の時とは違い、全校生徒の代表として1年間生徒会長を経験させて頂いたことで自分が学校の代表であるという意識を自覚し、普段の行動から意識するようになりました。ここから今でも、どんな時も他人から見られていることを意識しています。次に高校生の時には、学校の代表に長期間着くような経験をしませんでした。しかし、ここで初めてサブリーダーの経験として陸上部の副部長を1年間経験させていただきました。ここで部長の一歩後ろにいて、全体を俯瞰してみる経験を積むことができました。この経験が生きた出来事としては、日々の練習を男女混合でしており、男子が引っ張って行きがちになることが多々あるのですが、そこであまりニーズが取り入れられていないような女子の話を聞くことができ、練習に取り入れていくことから全選手のニーズを可能な限り取り入れることができたことで日々の練習をスムーズにすることができました。大学では、ゼミに打ち込みました。ここで経験から物事を多角的に見ることが生きました。ゼミは岡山県真庭市で地域創生をしています。ここは60代以上の方が半数をしめる高齢化社会です。そこで地方を盛り上げるためにイベントの企画を依頼されたときにゼミのメンバーでただ企画するだけではなく、何度も話を聞くことからニーズに沿ったイベントを企画することから実施までがスムーズに決定し継続的な活動が今後もできることになりました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
【内定】エントリーシート(アーキテクト)
コンサル・シンクタンク 2021卒 女性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以内)
A 私は小さいころから新しいことに取り組むのが大好きな人間です。 【小学校】「好奇心旺盛でリーダー気質」 私はとにかく好奇心が旺盛で、ピアノ・書道・剣道・吹奏楽クラブなど様々な習い事に通い小学生ながら多忙な毎日を過ごしました。同級生や兄弟に負けるのがとても悔しく、友人と遊ぶことよりも練習に熱中していました。学校では選挙選抜によって児童会会長と副会長を二年間勤め、メンバーと学校生活の改善や校内イベントの企画などを行いました。 【中学校】「目標達成への強い思い」 小学校から始めた吹奏楽に熱中しました。希望していた楽器に所属することができず悔しい思いをしましたが、与えられた担当で全力を尽くすことを決意し、3年間欠かさず毎朝1時間の自主練を行いました。3年生の時には部長に選抜され約40名の部員を率いました。私は副部長や各パートのリーダーと協力し、練習内容の改善とメンバーの意識統一に努めました。その年は地区大会で上位約10%にあたる金賞を受賞することができました。 【高校生】「サポート側での役割」 高校では野球部に所属しマネージャーの役割を果たしました。私が高校三年間の部活動を通して最も身についたと感じる力は「自ら考えて行動する力」と「タイムマネジメント力」です。マネージャーの仕事は特に決まりきった型がなく常に自ら考えて行動する必要があった為、選手にできる限りのサポートをするため常に効率性を考えていました。また、野球部の活動は想像以上に多忙であった為、バスなど移動時間を利用して勉強の時間を確保しました。 【大学生】「新しい経験で視野が広がる」 私の大学生活は、飲食・塾講師のアルバイトと留学生活がメインにあります。これらの経験から学んだ事として両者に共通して言えることは「問題解決に真剣に取り組むことの楽しさとやりがい」です。困難に向き合いメンバーとともに乗りこえたことが結果に関係なく自分の成長につながったと感じています。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 10 -
エントリーシート(アーキテクト)
メーカー(食品・医薬・生活・他) 2021卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 私はこれまでの経験から、「熱中」「素直」「目立ちたがり」の3つが私らしさだと考える。小学校では6年間を通して和太鼓に熱中した。人前に出ることが好きな私は、町内のお祭りや市内のイベント、学校での発表会に積極的に参加して演奏を行った。特に小学3年生でスピーチコンテストに出場した際には、和太鼓をテーマにスピーチを行い、自ら作曲した曲を大勢の来場者の前で披露するなどした。中学校では囲碁に夢中になった。囲碁教室に自ら足を運び、先生や大人たちのアドバイスを素直に受け止めることで成長していった。結果、囲碁を始めて1年後に参加した町内の囲碁大会で優勝を飾ることができた。高校で取り組んだ弓道では大きな壁にぶつかった。最初は部活に馴染むことができず、練習を休みがちであった。春に肺炎で部活を長期間休み、その復帰後に恩師から「お前の『休みます』は誰も信用していない」と告げられショックを受けた。信頼を失うことの恐怖を感じ、自身の不誠実な態度を素直に反省した私は、翌日から朝練や自主練に可能な限り早く、長く参加するようにした。態度で示し続けた結果、部員からの信頼は回復し、かつ練習を積んだことで上達にも繋がり、レギュラーとして県大会に出場することができた。大学で熱中したアカペラでは、最も自分らしさが発揮された。人前で演奏して注目を浴びることが気持ちよく、和太鼓のバックグラウンドも相まって、サークルに入ってから始めたボイスパーカッションは急速に上達した。しかし、自身の技術を誇示しようとするあまり、演奏が独りよがりであると先輩から指摘を受けたこともあった。私は持ち前の素直さでこれを受け止め、自身の演奏の意図をメンバーと共有したり、メンバーの演奏にあわせて自身の演奏を変えるなど、チームへの歩み寄りを図った。この努力もあってか、サークル員アンケートではベストボイスパーカッション賞を受賞することができた。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 1 -
エントリーシート(エンジニア)
コンサル・シンクタンク 2021卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください 800
A 小学生の頃の私は陸上、将棋、水泳、テニスを習っており気になることにはなんでも挑戦するような小学生時代であり、特に陸上では4×100mリレーと三種目混成競技に注力し、仲間とともに練習を続けることで県で2位の成績を収めることができました。また運動会では騎馬戦の大将も務めチームの勝利に導くなど、組織の中心に位置し、周りから好かれることが多い自分らしさが出た時代でした。 中学生の頃には体育祭で100人以上をまとめるブロックリーダーを務めました。ここでは副リーダーや後輩の委員、先生方と協力しあいより良い組織にするため、勝つために何ヶ月も前から連絡を取ったり、練習することで本番にはブロックでの優勝とクラスでの優勝のどちらも経験することができました。この頃から私の今の強みでもある先見性、先を見据えて行動し結果を出す能力が現れたと思っています。 高校生では部活で硬式テニス部に所属し横浜市のリーグで上位リーグに進出することを目標に週5日の練習に取り組みました。2年次から団体戦のメンバーに入ることができたのですが、試合では安定した結果を出すということが難しく苦労を重ねました。結果的には私たちの代では上のリーグに進出することができなかったのですが、結果が出せなかった時でも我慢して練習をし通せたことで今の忍耐力や我慢強さに繋がっていると感じています。 大学では私はスターバックスコーヒーで時間帯責任者、バイトリーダーとして店舗のコーヒー豆の売り上げに貢献しました。私たちの店舗の規模は小さく売り上げも伸び悩んでいました。そこで店長と話し合い、まずはパートナーのコーヒーの知識の補強として月に一回コーヒーに関するテストを作りその知識を用いてお客様に積極的に提案しようと心がけました。その結果地区で2位の売り上げを記録することができました。私のリーダーシップと思考力、分析力を活かすことのできた経験だと思っています。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 1 -
エントリーシート(ITコンサルタント)
コンサル・シンクタンク 2020卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800字以内)
A 小学生での私らしさが最も現れた出来事は、サッカーでの試合に負けるたびに大泣きしていたことです。私は大変負けず嫌いで、何をするにも負けると悔しくて泣いていた記憶があります。しかし、ただ負けるのを悔しがっていたわけではありません。どれほど強い相手でも負けるのが嫌だったため、決して最後まで諦めずに戦っていました。中学生での私らしさが最も現れた出来事は、サッカーの試合に出れない時期にも努力を怠らず、最終的に出れるようになったことです。私は一度始めたら決して途中で投げ出しません。どんなに辛いことでも、どんなに高い壁であろうとも、やり遂げるまで続けます。そしてやり遂げたら、また新たな目標に向かって努力し続けます。高校生での私らしさが最も現れた出来事は、敢えて都内の高校ではなく、群馬県の高校を進学先として選んだことです。私は中学生の頃、東京選抜に選出された経験もあり、都内ではそれなりに名の通った選手でした。東京都内外の多くの高校から推薦を頂き、その中で桐生第一高校を選びました。その理由は、親元を離れて、サッカーにのみ集中できる環境に身を置き、全国大会で活躍したいと考えたからです。一般的に考えれば、都内の高校でも十分全国大会で活躍できます。しかし、私は自分があまり知られていない環境で、どれだけできるかというチャレンジをしたいと考えました。そのようなチャレンジ精神もあります。大学生での私らしさが最も現れた出来事は、学業成績優秀者として表彰されたことです。大学では体育会サッカー部に所属しており週6日の活動をしています。体育会に所属している以上、全力で取り組むのは当然ですが、学生の本分は学業であり、学業を疎かにして部活動に勤しむのは本末転倒だと考えました。そこで学業にも、同様に力を入れて取り組み、学科3位の成績を獲得し、学業成績優秀者として表彰されました。このように、部活以外でも成果を出せます。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 1 -
エントリーシート(エンジニア)
金融・保険 2020卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 小学校時代は、体力や運動能力が低い少年だった。そんな中、私は陸上大会のための任意の朝練習に取り組むようになり、種目も、困難なために人気のなかった長距離種目に挑戦した。少しずつタイムが伸びていくことがモチベーションにつながり、続けることができ、結果的に朝練習の実施期間が終わるまでやり通すことができた。この挑戦は、新しいものに挑戦することによって、自分が変わっていく姿を見たいと思ったことに起因している。 中学校では、これまで経験のなかった学年での生徒会の役員に立候補したり、クラス役員をするなどリーダー役に挑戦するようになった。これは、新しい環境になり、何か新しいものに挑戦していきたいという気持ちの芽生えによるものである。また、ここでのリーダー経験がこの後の自分の自信につながり、ある意味で転換期であったといえる。 高校では、テニス部に所属していた。その中で自分の練習に目標を持つために、周りの部員よりも、積極的に外の大会に出場するようにし、テニススクールに通うことで練習量も増やし、新しいプレーに対する挑戦や、試合でのランキング付けの更新を目標に毎日の練習に目的意識を持って参加していた。この時期から、挑戦する気持ちとともに、他の人に負けたくないという気持ちの強まりが現れてきた。 大学では、また新たな挑戦や体験を求めてたった一人の日本人として大学の上級英語の講義を受講した。初めはついていくことが難しく苦しんでいた。しかし、一生懸命に予習や、グループワークで食らいつく姿勢を見せることで周りの留学生に理解してもらうことで、サポートしてもらうことができた。ここから、挑戦したが、非常に困難であるという場合でも粘り強く取り組み続ければ突破口が見えてくるということを学び、そうするように考えるようになった。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(アーキテクチャ コード選考)
IT・情報通信 2020卒 男性
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Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔にご記入ください。800
A ●小学校 学校行事の一つである学習発表会の劇の内容を考え、主役を務めたことです。セリフを考える際に、クラスで漫才やコントをしていた私は、みんなに楽しんでもらうことを意識しながら劇を制作しました。劇の内容は、水戸黄門をベースとしたもので、主役の水戸黄門を立候補し、負けず嫌いなこともあり、オーディションでは練習をしっかり行い挑み主役を勝ち取りました。本番までは、座長・脚本家のようにクラスの演技指導を行い、より面白い劇になるように練習し本番でも、たくさんの笑顔を見ることができました。 ●中学校 ソフトテニス部と生徒会に所属したことです。私の出身中学は、ソフトテニスが盛んで、全国大会に出場する先輩方も多く、様々な指導者の方に技術や礼儀等を教えていただきました。副部長として、部長をサポートしながらチームをまとめることも行い、人一倍練習に取り組みました。生徒会では、生徒会長に立候補し、公約等の練習を行いましたが落選しました。自分の満足ではなく、他人から評価されるような努力をしなければいけないと感じました。 ●高校生 全国大会出場を目標に日々部活動に取り組んだことです。走り込みや打ち込みは体力だけでなく精神面にもスタミナをつけ、何事にも諦めない力が身に付いたと思います。また、顧問の先生が経験者でなく、自分たちで練習メニューを考え、試合結果から弱点を分析することを行いました。計画⇒実行⇒評価⇒改善というPDCAサイクルを行い、練習効率を上げるというように部活動を通して主体性が身についたと感じます。 ●大学生 大学に入学したことです。友達も親戚も誰もいないところで自分がどのくらいできるか挑戦したいと考え本大学に入学しました。方言や文化も同じ日本でもこんなに違うのかと大変驚き、刺激を受けました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0 -
エントリーシート(ITコンサルタント)
人材・教育・その他 2020卒 男性
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このQAはフューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの内容です。
Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800字以内)
A 【小学校】小学校3年生の頃、負けず嫌いのため100マス掛け算でそろばんに通っていた人たちと競い合い勝利しました。また小学校6年生の頃、算数の先生に数学を教えてほしいと懇願しました。しかし断られたため、4歳年上の兄の数学の教科書を借りて独学で勉強しました。 【中学校】学校の部活ではなく外部チームのサッカー部に所属し、サッカーで高校からスカウトされました。小学校5・6年生の2年間は怪我で休んでおり、中学1年生の時は基礎であるリフティングが30回しか出来ず、15人いたチームメイトの中で誰よりも下手でした。しかし誰よりも下手であるという悔しさをバネに、練習外の時間に一人で基礎を繰り返し続けた結果、全国大会出場校からスカウトされました。この経験から努力し続ける大切さ、内省しPDCAを回し続ける力を身につけました。 【高校生】3人しかいないスポーツ推薦組の一人として1年生チームを任され、強豪校がだけが集まる大会で決勝リーグ出場を目指しました。私がいた高校は個人の能力が他校より劣っていたため、チームメイトと1対1で話して認識をすり合わせること・戦略を全員で共有することで個人ではなく組織として勝つことを意識しました。結果は決勝リーグに行けなかったものの、勝てないと言われた強豪校に勝つことができました。この経験から認識を合わせ、戦略を全員で共有することで組織の力を向上させられると学びました。一方で組織力だけでなく、個人個人の能力も必要であると学びました。 【大学生】大学ではトランクルーム出店の営業インターンに挑戦しました。そこでは3人いたインターン生の中で最も高い3店舗出店を目標に掲げました。しかし営業開始当初は最も低い成績でした。そこで過去に成功しているものを分析することで営業を効率化しました。結果、2店舗出店と過去30人いたインターン生の中でトップの成績を残すことができました。 フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ESの回答です。 0