フューチャー(フューチャーアーキテクト)の企業研究

フューチャー(フューチャーアーキテクト)の本選考ES 53 件

【内定】エントリーシート(アーキテクト) フューチャー(フューチャーアーキテクト) 2018卒 男性 Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。 800文字以下
A 【小学校】6年生の頃、友達と数独パズルでどちらが先に解けるか競い合っていました。互いに負けなくないという気持ちが強く卒業式当日まで新しい問題に挑戦し、結局勝負がつかないまま卒業しました。【中学校】卓球部の主将としてチームを県大会出場に導きました。私が主将になるまでの2年間はいずれも地区大会で1勝もできない弱小チームでした。私は主将になってまず明確な目標を立てるべきだと考えました。そのために定期的にミーティングを行いチーム内で目標を決め、達成するためにどのような練習をするか話し合い実践してきました。その結果、最後の大会では団体と個人両方で県大会に出場できました。【高校生】インターハイ出場を目標として部活に力を入れてきました。練習が多く毎日始発の電車で学校に行き、帰宅は夜9時をいつも回っていました。とても練習が大変で苦しかったため、部活を辞めたくなることもありました。しかし、皆苦しい中で頑張っているのだから自分も頑張らないといけないと強く思い、1度も休まず練習を頑張りました。その結果、最後には団体でインターハイ出場という目標を達成できました。この経験から、高い目標でも粘り強く取り組むことが重要だと感じました。【大学生】班長としてゼミナール大会に出場しチームの優秀賞獲得に貢献しました。初めは十分議論ができておらず教授からクラスで最下位と言われる程でした。そこで私は賞を取るためにはまず深い議論ができないといけないと思い、そのために「意見交換をする機会の増加」「各自の役割を明確にすること」が重要と考えました。加えて班で集まる際には、事前に話し合う内容を決め各自事前に調査を行ったうえで議論できるよう心掛けました。そして、各自の調査結果や考えを共有することで議論を深めることができ結果、優秀賞を獲得できました。この経験から、各自の考えや情報の共有がチームで活動する上では重要だと感じました。
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エントリーシート(コンサルタント) フューチャー(フューチャーアーキテクト) 2018卒 男性 Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。 800文字以下
A 【小学生】 当時、下校後毎日のように友人と公園で鬼ごっこをしていました。他の人より足が遅かった私は自分が鬼になった時に非常に苦労しました。しかし、諦めずに追いかけ続けることによって、体力が尽きるか諦めるかをした相手へタッチをするようにしていました。現在の私の目標に向けて粘り強く努力する性格はこの頃に養われたのだと思います。 【中学生】 剣道部に入部しました。初心者であり、指導者もいなかったため、基礎から先輩に教わりました。初めての試合は一回戦敗退で、非常に悔しい思いをしました。そこで、先輩に紹介をお願いし、社会人のクラブや高校剣道部の練習に毎週のように参加しました。自分より格段に上のレベルの人と打ち合うことで、力を着けることが出来ました。最終的に区民大会でベスト8になることが出来ました。成長のために、チャレンジする重要性を学びました。 【高校生】 高校3年の10月に急遽志望校が変わり、偏差値20の向上という挑戦をしました。偏差値20を向上させることは出来たのですが、試験当日はうまくいかず、補欠で不合格となりました。滑り止めで妥協するのは悔しいと思い、浪人を決意しました。お金のない家庭であったので、予備校に通わずアルバイトで受験料を貯め、独学で勉強しました。最終的にさらに成績を向上させることが出来ました。この経験から自分で考え、妥協せずに取り組む姿勢が身に付きました。 【大学生】 陸上部中距離パートのチーフとしてチームの運営に尽力しました。個人競技である上に、競技レベルが様々なチームであったため、目指す目標が個々で大きく異っていました。全員の毎回の練習記録管理と動画による分析に加え、毎日個別に競技以外のことも含め、会話をすることを意識しました。そうすることで、信頼関係を構築し、個別に異なる解決策を考え、全員が自己ベスト更新を達成出来ました。この経験を通して、人の成長に貢献する喜びを感じることが出来ました。
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エントリーシート(経営コンサルタント) フューチャー(フューチャーアーキテクト) 2018卒 女性 Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。
A 小学校】勉強が得意でした。クラスメイトから頼られることも多く、学級委員を務めたこともありました。また、考えることが好きで、「大人になったら、人に触れるだけでその人の心が読める」など突拍子もないことをよく考えていました。 【中学校】中学3年生のときに、写真部を創部しました。部員を同級生の中で探すと同時に、中高一貫校であったため、上級生で写真部に興味ある人がいないか情報を集めました。結果的に、部活をつくるための規定人数以上の部員を集めることができ、中学入学当時から創りたかった写真部を創部することができました。 【高校生】高校1年生、2年生で文化祭実行委員を務めました。 もともと、美術が好きで、何かを作ることが好きであったため、「文化祭の顔」でもある、校門前に設置するゲートを制作する部門を2年連続担当しました。高校2年生では、ゲートのデザイン、 設計も担当し、今までにないものを作ろうと奔走しました。結果的に、先生方や来場者の方からも好評を得ることができました。 【大学生】大学1年生の終わり頃、あっという間に1年間が終わったことに危機感を感じました。また、大学内、アルバイト先という限られたコミュニティにしか自分が属していないことにも気づきました。 そこで、大学2年生の時に学生団体に参加することにしました。 自分の知らない環境に飛び込むことに少し緊張もしましたが、新しい環境に身を置くことへのワクワク感が勝り、加入を決めました。 また、大学2年生、3年生では、成績優秀者特待生に選出されました。これは、課外活動と同時に学業を怠らなかった自分自身の努力が認められた結果だと思います。
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エントリーシート フューチャー(フューチャーアーキテクト) 2017卒 男性 Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。 800文字以下
A 小学生:熱中すれば「二兎でも三兎でも」追う。6年生の夏には、1週間で「そろばんの東北大会」「サッカーの県大会」「ソフトボールの県大会」に出場し、全部で勝利の結果を勝ち取った。「天才児」と呼ばれ調子にのった。更に、その後偶然にもNHKからの取材を受けることができ、私は完全に天狗状態になった。 中学生:野球部に所属し4番打者として活躍するも、最後の1年間は公式戦打率0割。周囲からは「器用貧乏」と呼ばれ、自分自身の実力の無さに絶望した。高校は東京の学校に通って実力をつけようと決心。 高校生:“自他ともに満足できる結果”を残すことを目標に「超・文武両道」を掲げた。3年の夏休みは1日10時間勉強・6時間の部活動を両立させてがむしゃらに頑張った。部活はダンスをしていたため、この時は「踊る参考書」と呼ばれていた。東大受験ではまさかの「数学9点」という自己最低記録で不合格を喫したが、ダンスでは全国優勝を果たした。 大学生:1週間毎日スーツを着ていた。それまで塾や予備校とは無縁だった私は、社会経験のつもりで塾講師のアルバイトを始めた。しかし、始めてみると悲惨な経営状態が目に飛び込んできた。「給料最優先の教師」「授業という生徒の睡眠時間」「第1志望って何だっけ」という悲劇を繰り返さないために、私は夢に見た「華の大学生活」を捧げてしまった。やるからには本気を出そうと、コンサルタントとして活躍する先輩に相談。その中で様々な改善案を実行し、生徒数を74名から125名にまで増加させることに成功。3年間で塾全体の平均偏差値も52から61にまで上昇させることができた。
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【内定】エントリーシート フューチャー(フューチャーアーキテクト) 卒 Q 自分の考え方に影響を与えた出来事と、それによりどのように自分が変わったのかをエピソードと共に教えてください。また、その題材を選んだ理由も教えてください。
A 目標達成のために何が必要か見極め、どういった行動がベストかを常に考え行動することを家庭教師のアルバイトで学び、課題に対してどういったニーズがあるか分析できるようになりました。 学部時代の家庭教師のアルバイトで、小学校6年生の生徒から依頼があり、家庭教師をした経験からです。それまでの生徒と同じ教え方では成績が上がらなかったことが最大の困難でした。そこで、成績が上がらない理由は勉強法に問題があると判断しました。そこで、『生徒に先生役をやらせる』と『60分勉強法』いう勉強法を導入し知識の定着化を図ることと同時に、私は過去の入試問題10年分と受験データを集めて分析し、指導内容を修正しました。 具体的には、『生徒に先生役をやらせる』という勉強法は、記憶の定着にはインプットだけでなく、記憶をアウトプットすることが重要であると私の大学受験の経験で思っていたことなんで、生徒が一度覚えた気でいることを私に説明させることで記憶のアウトプットを図りました。 そして、『60分勉強法』いう勉強法は、1時間の勉強時間の中に暗記と復習の勉強サイクルを導入し、知識の定着化を図りました。この2つの工夫に関しては、主に記憶を増やすためです。この生徒は一度やったことをすぐ忘れてしまうという弱みがあると当初自分で言っていたのですが、それは復習や、アウトプットなど、記憶を定着化し、「忘れない工夫」が足りていなかったため、このような工夫をしました。そのことと同時に、一度やったことを忘れてしまうことが、勉強時間、労力共にもったいないと感じたからです。目標を持った彼は私の話を真剣に聞き、一つ問題が解ける毎に自信をつけていき、偏差値が65の志望中学に合格しました。これが、私がその生徒の未来を創造した経験なので、この題材を選びました。
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フューチャー(フューチャーアーキテクト)のインターンES 12 件

【合格】インターンエントリーシート フューチャー(フューチャーアーキテクト) 2023卒 男性 Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 小学校では、福沢諭吉の格言を知り、反骨精神を発揮してよく勉強した。気が弱い性格であったため、よくいじめの対象になっていた。たまたま読んだ福沢諭吉の伝記の中で、「ペンは剣よりも強し」という言葉を見つけ、その言葉を信じてよく勉強した。その結果、公文式の数学のにおいて全国70位の進度成績を収めることができた。 中学校では、負けず嫌いを発揮して部活で結果を出した。背景として、私が所属していたバレーボール部は、体罰も行われるほど厳しい部であった。私は初心者で入部したにも関わらず、高身長であったため、1年生からレギュラーに抜擢されていた。しかし、運動神経が良くないため結果が出せず一段と厳しい指導を受けていた。その状況がとても悔しく、部活以外にバレーボール教室に通ったり自主的に筋トレをするなど様々な工夫を行った。その結果、最後の大会では10年ぶりの地区大会進出に大きく貢献した。 高校では、リーダーシップを発揮してバレーボール部のキャプテンを務めた。中学校とは一転し、顧問が練習に全く関与しない部であったため、練習内容に関しては私に全ての決定権があった。しかし、顧問に練習を強制されない分、部員内で練習への温度差が発生していた。各部員の能力は高いため、練習さえすればいいチームになると考え、定期的に会議を行ったり、各部員に責任を分散することで部員のモチベーションを保ち続けた。その結果、こちらも10年ぶりに県大会に進出することができた。 大学では、サークルで新歓長を務めた。その際、同期内でモチベーションに差があるという課題があったが、各自のモチベーション差を考慮して仕事の分担を行ったり、私の考えをLINEで共有する等の工夫を行った結果、全員で協力して新歓ができ、同期の仲が良くなっただけでなく、新入生を例年の倍に増やすことができた。貴社でも人を巻き込みながら自発的に業務を遂行したいと考えている。
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インターンエントリーシート フューチャー(フューチャーアーキテクト) 2022卒 女性 Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください。(800文字以下)
A 私らしさは「決して諦めないこと」です。 小学校の〇〇〇〇大会では6年間1位でした。任意の練習にもすべて参加し、自主練習で母の付き合いの元、校庭を毎日8周していました。1位を守りきれるか決まる6年生の大会当日、生まれて初めて鼻血が出てひどく動揺しました。それでも母が一緒に走ってくれたことを思い出し、結果を何とか出したいと思い走り切り、1位を維持できました。 中高は6年間〇〇〇役員を務めました。 中学2年で副会長となり、1学年上の会長副会長がいる中での役割を既定の仕事以外に見つけられなかったことが心残りでした。しかしここでくじけず、3年で副会長を務めた際は、1年下の副会長との密な密なこコミュニケーションを意識し、委縮しがちな下級生の意見を反映できる架け橋の役目を一緒に務められました。 高校の副会長では会計の申請制度を変革しました。紙の申請書では紛失・計算ミスが多発する問題への対処としてデータでの提出へ移行しようとするものです。その中で私は教師に対する不満で感情的になる生徒と伝統を重んじ保守的な教師の双方に粘り強く対話を重ね対立の緩和に努めた結果、変革ができました。 大学では法学部のゼミで世界最大級の〇〇〇〇大会に挑戦しました。目標の最終ラウンド出場は全員の平均点で決まるため1人の努力では不十分と考え、チームの弁論力底上げに向け動きました。情報共有不足からの無駄な議論の多さが当初の問題でした。全資料をデータ共有で統一しようとしましたが、自分ばかりが共有し、機能していませんでした。そこで議事録当番制を導入しました。これにより全員に責任感が生じたことで共有がチームの習慣になりました。諦めずにチームの姿勢を変え有意義な議論を増やせた結果、目標には及ばなかったのですがアジア圏の大学で唯一平均が平の点数均以上を獲得できました。このように私は何においても粘り強くむことができます。
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インターンエントリーシート フューチャー(フューチャーアーキテクト) 2019卒 男性 Q 貴方らしさが最も現れた出来事を小学校、中学校、高校生、大学生の各年代順に簡潔にご記入ください。 800
A (小学生)図画工作の授業が好きで、この頃からモノを作ることに興味を持っていました。特に木工工作が好きで、いくつかの作品の入賞経験もあります。自分で考え、実際に作り上げていたことから、想像力豊かな子供であったと思います。 (中学校)自分たちで戦略を考え、チーム全員が一つになってプレーをすることに魅力を感じ、アメリカンフットボール部に入部しました。ポジション争いに勝ち抜くために、試合動画を見て上手い人の動きの研究を行い、コーチに助言を求めていました。2年次からスタメンに選出される機会も多かったことから、負けず嫌いな性格であったと思います。 (高校生)高校でもアメリカンフットボールを、我が高校ではまだ達成していない関西大会で優勝を目標として続けました。2年次に県大会で優勝し関西大会出場を果たしましたが、3位に終わってしまいました。私はこの大会出場のために培ったスキルや能力を後輩に徹底指導しました。伝統あるチームを後世に残したいという責任感が強かったと思います。 (大学生)3年次に機械創成実習を経験しました。5人ほどでチームを組み、商品の企画、部品発注、設計から図面作成、組み立て、製品の評価までのプロセスを実際に自ら考え行いました。企画プレゼンでの厳しいフィードバック、作成した図面も真っ赤になって返却された時は、精神的にも参ってしまいました。しかし、絶対に合格をもらうため、深夜までチームで集まり、改善策を話し合いました。何度も再提出を行い、ついに承認され、その後の組み立て、評価もチームで役割を明確にしながら行い、製品の最終プレゼンを終えた時は、今までにない喜びと達成感を感じました。3ヶ月という短い期間でしたが、この経験から困難な課題をやり遂げる力とチームワーク力が培われたと思います。
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エントリーシート(インターンシップ) フューチャー(フューチャーアーキテクト) 卒 Q 貴方らしさが最も表れた出来事を小学生、中学生、高校生、大学生の各年代順に簡潔に書いてください
A 小学校・・・一年生の頃の父親との逆上がりの特訓。家の近所の公園連日暗くなるまで何度も練習した。出来ない自分が悔しくて泣きながら何度も挑戦を繰り返した。一週間ほどでようやくできるようになり、非常に嬉しかった。目標に向かって必死に努力することで得られる充実感を今でも覚えている。中学時代・・・ソフトテニス部に所属。三年間きっちりと続けることができた。高校時代・・・クラスの学級委員として文化祭での屋台の運営に力を入れた。三年生という忙しい時期でありながらクラスをまとめて成功させた。何かひとつのものを作り上げるおもしろさを学んだ。大学受験期・・・早稲田大学のどの学生も本気でやりたいことに打ち込んでいる姿勢に惹かれて受験勉強を開始。合格のためには何が必要なのか、そして今の自分は何をするべきなのかを常に考え勉強を進めていた。大きな目標達成のためには日々の小さな目標設定と努力が大切だということを学んだ。大学時代・・・男声合唱サークルに所属し、歌うことに明け暮れた。尊敬する先輩に認めて貰いたくて必死に努力をした。過去の経験を活かし、目標設定及び日々の努力を大切にした。結果として去年の演奏会で団員100人の中から唯一のソリストのとして選ばれた。また新入生勧誘活動のリーダーとして新入生の獲得に尽力した。今年は例年の二倍の約40人の新入生が入団してくれた。
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