大和証券

本選考 

  • 19卒
  • 本選考
締切 18/05/21 17:00

最終更新日:2018年05月16日

■ 募集職制 ■
[総合職] 全国転勤型の職制です。
キャリア形成のフィールドが広く、入社後、適性を考慮して部門間、
グループ会社間のローテーションもあります。

[エリア総合職] 地域限定型の職制です。
処遇、キャリア形成は総合職と同様で、転居を伴う転勤がない総合職です。
入社後、職制転向制度を利用し総合職へ転向することができます。


■手続き内容
Step 1 プロフィール登録
必要情報をご入力いただきます。

Step 2 応募コース(職制)の登録
「応募コース(職制)」および「志望勤務地(エリア総合職のみ)」をご登録いただきます。

Step 3 エントリーシート提出

Step 4 適性検査の受検

Step.1〜4全てを指定の締切日までに行っていただくことで、エントリーが完了します。

■ エントリー締切日 ■

5月21日(月) 17:00


【エントリーシート設問内容(総合コース共通)】
○設問1 学生生活(これまで)で最も力を入れた事、もしくは入れている事と、その理由をご記入下さい。(学業以外の事でも構いません)(200文字以内)
○設問2 当社及び選択したコース・部門を志望する理由、入社後のキャリアプランをご記入下さい。(300文字以内)
○設問3証券営業という仕事の醍醐味、やりがいや難しさをどのようにお考えですか?ご記入下さい。(300文字以内)

【エントリーシート設問内容(部門別コース)】
■当社を含むインターンの経験がある方は、その内容を入力して下さい。(200文字以内)
■大学または大学院等での研究内容やゼミの内容について記述して下さい。 ※
金融工学、リスク管理、運用モデル、プログラミング、経済学等について学んだ経験があれば併せて記述して下さい。(400文字以内)
■興味のある部門はどちらですか。 (選択式)
○設問1学生生活(これまで)で最も力を入れた事、もしくは入れている事と、その理由をご記入下さい。(学業以外の事でも構いません)(200文字以内)
○設問2 当社及び選択したコース・部門を志望する理由、入社後のキャリアプランをご記入下さい。(800文字以内)


 

ES・選考レポート 10件

エントリーシート(リテール)(総合職) 大和証券 2024卒 男性 Q 自分史を記述してください。現在のご自身を形成する上で重要な経験について、経験の内容の詳細、またその経験が今のあなたの考え方や行動にどのようにつながっているのかをふまえて答えなさい。(2000文字以内)
A 中学時代に駅伝に励み、〇〇大会に出場し県4位という成績を収めた経験から、継続することの難しさとその重要性を学んだこと、高校時代に部員○○名を超えるサッカー部に所属し、上位のカテゴリー昇進に努めた経験から、課題点を明確にし改善していく課題解決をする習慣がついたこと、大学時代に証券アナリストの資格勉強で苦手科目である数学の学習を継続的に行った経験から、物事を暗記するだけではなく、理論的な部分を理解し1つの知識からその他に応用していくことの重要性を学んだ。中学時代は駅伝で関東大会に出場するという目標を立て、3年間厳しい練習に取り組んだ。当時、駅伝に興味を持ったきっかけは小学生時代に市内で行われた陸上記録会で1位をとり、大会記録を樹立したことから中学で自分自身の持久力がどの程度まで当該分野で通用するのか試してみたかったからである。当時最も苦しかった事は練習の辛さと厳しさである。その練習は中学3年間を通して週6日で朝の7km走と放課後の中距離のインターバル走で構成されていた。その苦しい練習から、駅伝部を辞めたいと思い駅伝部の監督に相談したことがあった。その時、監督に「中学時代に継続できない人間は、大人になってから継続できるわけがない。今が頑張り時なんじゃないか。」と言われ、その当時、その言葉が自分の原動力になったことを今でも鮮明に覚えている。その日を境につらい時でも、必ず練習を休まず取り組んだ。この努力が実り中学1年生の時は県大会に出場することができ、中学2年生の時には県大会で4位という成績を残すことができた。関東大会という目標は3年間を通して達成することは出来なかったが、毎日継続していくことが結果に直結するということを身に染みて体感した。この経験は現在の自分のやると決めたことは最後まで逃げ出さず行うという継続力につながっており、この精神が今までの自身の成功に大きく貢献していると実感している。高校時代はプロサッカー選手になるという小学1年生からの目標を達成するために、東京のサッカー強豪校に進学した。東京のサッカーチームを選んだ理由は、出身地である茨城県よりサッカー部の強豪校度合いがより段階的であり選択肢が豊富な事、サッカーが強くかつ文武両道を掲げる高校が多く、勉強にも励める環境が整っていることの2点だ。当時、活動において最も苦心したことはプレーにおいて個性の強い優秀な選手が多数在籍し、指導陣に自分自身を上手くアピールできず、カテゴリー昇進が思うようにできなかったことである。その時に、私が他の選手に比べて平凡な選手であり、カテゴリー昇進をするためには他の選手と差別化し指導陣の目に留まらせる必要があると考えた。そこで工夫したことは、チームが重視している守備を極め、個性を出そうとしたことである。私はチームが守備を重視しているが、守備に秀でている選手は全選手を通してほとんどおらず、そこにギャップが存在し守備に徹する選手になれば必然的に評価されるとのではないかと考えた。守備力を向上するため取り組んだことは、倒れない体を作るためのフィジカル強化、相手との1対1の守備の練習、戦術的な守備の学習の3点である。上記の取り組みで指導陣から一定の評価を得て、東京都のリーグ戦に出場する機会を与えられた。この時に、ただやみくもに練習するだけではなくしっかり事前に課題を特定し、その課題を改善するための練習を自分で計画する事が重要であると学んだ。この課題解決は現在では習慣化されており、大学受験時の苦手科目の克服という点やゼミ活動で研究を行う際の課題把握などの点で大いに発揮されていると感じる。大学時代は、今までの学生生活では運動分野に注力していたので学問分野に力を注ぎたいと思い、大学1年生の11月に証券アナリストの資格取得を決意した。本資格の取得を決めた理由は大学1年生の時に金融の講義を受け、金融業界に興味を持ち、体系的に金融知識を勉強したいと思ったからである。取得において苦労したことは、苦手科目である数学の学習である。高校以来、数学の勉強を真剣にしてこなかったため本資格で金融・経済理論の理解に必要な数学的な基礎知識が全くわからない状態であった。本資格は数学公式や知識を暗記し理論を理解せずに学習を進めることも可能であったが、その場合大学時代に資格を取得する意味は損なわれると考え、3か月間かけて高校数学の基礎を勉強し直した。覚えた数学知識を金融・経済理論に当てはめることでより質の高い学習が出来たと実感している。ある理論を突き詰めた学習をしたことにより、物事を根本的に理解することができ、また単純な暗記ではないので類似事象や理論に応用が効くということを学んだ。現在も学問を行うときにまず暗記するのではなく、理論や流れを理解するように心掛けている。
1
エントリーシート(総合コース(総合職)) 大和証券 2023卒 男性 Q 「自分史」を2,000字程度でご記入ください。(最大2,500文字) (現在のご自身を形成する上での重要な経験について、経験の内容の詳細、またその経験が今のあなたの考え方や行動にどのように繋がっているのかを、自由にご記入ください)
A (0歳)○○県○○市のコメ農家に生まれる。 (小3)絵を描くのが好きで、○○主催の絵画コンクールで特別賞を頂く。それ以後、人前で表彰されることや、ほめられることに喜びを感じてきた。 (小6)習い事では1年生から続けたそろばんで2段を獲得、人より早く成長することにやりがいを感じる。部活ではミニバスケ部に所属。6年生最後の決勝戦でスタメンとして出場したが、1点差で負け仲間と悔し涙を流す。 (中1)小学校での悔しさを胸に、入学後すぐにバスケ部に入った。しかし、1年生の夏、膝に成長痛を抱える中、練習中の衝突で膝を故障した。1ヶ月の療養の末プレーは可能になったが調子は戻らず、結果を残せない自分が嫌になった。マネージャーではなく、プレイヤーとして活躍したいと思い卓球部に転部を決めた。やるからにはトップを目指す、その想いで誰よりも早く学校へ行きサーブ練習300本、帰宅後はマラソン3kmと素振り600回を毎日行った。 (中2)その結果、個人戦で地区大会優勝を成し遂げ、3年生引退後、チームの戦略面を担うエースに抜擢された。その後は、団体で結果を出すことに注力。成績不振は、練習相手が毎日同じで大会の対戦相手に対処できないのが原因と考え、「3人1組のグループを作って改善点を教え合い、毎日メンバーを入れ替える制度」を実施した。 (中3)チームの結束力や技術力が高まり、目標であった団体戦県大会出場を5年ぶりに果たした。変化や逆境に打たれ強くなれたきっかけだった。 (高1)高校へ主席入学を果たす。クラスでは学級委員長を務めることになったが、文化祭においてクラスの意見が二分する経験をした。まずは折衷案の提案を考えたが、企画の性質上叶わず多数決で企画が決まった。自分の企画が選ばれなかったクラスの半数が協力的でないという状況になった。クラスの心を一つにして最後はみんなで笑いたい、その想いで[1]自分が人一倍動いて汗をかきクラスメイトにやる気を持ってもらうこと、[2]力を貸してくれるのを当たり前にせず感謝を伝えること、この2点を心掛けて行動した。その結果、クラスの皆からの積極的な協力を引き出し、最優秀賞を獲得した。仲間の協力を引き出せる「感謝」と「行動力」の大切さに気付いた。 (高2)学年主任の先生から声をかけられ、地元の市の「まち・ひと・しごと創生推進会議」に1年半参加した。農業と観光が結びつくといった産業×産業のシナジーを肌で感じられたのは、自身の職業観を構成する上で大変役に立った。 (高3)勉学では常に順調だった私に、大学受験失敗・浪人という初めての挫折が訪れる。原因は、受験のレベルを見誤ったこと、そしてプライドが邪魔して先生に分からないと言えず、頼らなかったことにあった。成績最優秀者・主席卒業として壇上で表彰されるも、内心はなかなか笑えない卒業式を終える。 (浪人)東京で寮生活をし、予備校に通うことになる。悔しい思いを繰り返したくない、その想いでプライドを捨てた。講師に積極的に聞きに行き、友達にさえ分からないことを隠さず教えてもらい、志望度の高い○○大学に合格する。 (大1)学祭実行委員としてサークルの「信頼」を失ったチームを立て直し、一丸となって安全な大学祭の実現に尽力。安全性の問題からサークルの企画変更が必要で、4名のチームを率いて説得に当たった。説得の成功にはサークルとの信頼関係構築が必要だが、チーム員の配慮に欠けた対応がサークルを怒らせ、説得を困難にした。企画を変更してもらい何を目指すのか、目的が曖昧でチーム員にやる気がないのが原因だった。そこで[1]「企画変更で誰もが楽しめる安全な大学祭の実現」を目的に設定し、チームの方向性を明確化した。そして[2]高校時代に培った人一倍の「行動力」で熱量を見せてチーム員のやる気を喚起し、チーム力を最大化した。私がサークルの部室へ5回赴き、悩みを聞き出すことに成功。信頼構築の糸口を掴んだ行動力が功を奏し、チーム員もやる気を出してくれた。そして聞き出した「景品のコスト削減」などの悩みをチーム一丸で解決できた。サークルは「よくやってくれたから」と企画変更を承諾してくれた。(大2)塾講師として担当する生徒6名全員の苦手科目克服に尽力。私の経験を基に、苦手教科のある生徒は恥ずかしくて分からないと言えないのではないかと考え、以下の3点を実施した。[1]授業開始10分は世間話で生徒との距離を縮め、苦手な部分を言い出しやすい関係性を構築、[2]聞き出した理解度に応じて授業をカスタマイズした。[3]また、家族との買い物など私生活をヒアリングし、学習計画に反映させ無理のない学習習慣が身につくよう努めた。その結果、4名の生徒は苦手科目のテストで平均16点上げた。残り2名は点数こそ顕著に上がらなかったが、分かる喜びを理解し、苦手教科でも宿題を出してと言うまでになった。生徒や親御さんから感謝されモチベーションを感じた。 (大3)ゼミ活動に注力。2年次までの法律学習は判例や論文という紙ベースの話が多かった。当事者がその問題に関してどう考えているのか直接話を聞きたい、そう考え自由度の高い知的財産法ゼミに入った。また、実家がコメ農家で農業が身近だったこともあり、個人テーマは農業に関連する種苗法を選んだ。今後は、農家や種苗家などに調査を申し入れ、現場の声を基に研究を進めていく予定。
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【内定】エントリーシート(IBD)(総合職) 大和証券 2023卒 男性 Q 自分史(2000~2500字以内)
A 【小学校卒業まで】(0歳)長男として生まれる。(3歳)○○を始めたが、苦手で最初の○○級で辞める。(4歳)○○に入会。右脳教育が非常に楽しく、7年通うこととなる。(小2)放課後は毎日公園で鬼ごっこに明け暮れる。友達に誘われ野球を始めようか迷うが、ある日打球が当たったことがトラウマとなり断念する。(小5)家族で○○大学の学校祭に行った際、当時の学生が液体窒素等を使って遊ばせてくれ、頭が良くも気さくな所に憧れを抱く。(小6)友達の姉とバドミントンをし、楽しさに衝撃を受ける。 2013年4月○○中学校入学(中1)バドミントン部に入ろうとするが、女子のみの部であり入れないことを知る。諦められず顧問の先生に頼み、男子バドミントン部を新設してもらい、入部する。そこでただ楽しいとしか感じていなかったバドミントンが、ハードなスポーツであることを思い知る。以降引退まで、土日は部活が終わると地区体育館に直行し、閉館までプレーするようになる。(中2)練習の甲斐があり、春の中体連地区大会にダブルスで入賞し、半年後の公式戦の第一シード権を得る。しかし直前に体育で手の指を骨折してしまい、棄権する。またダブルスのペアも同じタイミングでケガをし、悔しさから2人とも自暴自棄になり、練習を初めてサボる。少し部活を離れることでバドミントン愛に気付かされたため、数日後に復帰しできる範囲から練習を再開する。(中3)最後の中体連で準決勝負けし、全市大会出場を逃して引退する。全力は出せたが負けは負けであり、非常に悔しかった。引退後は受験を見据えたが、学年順位は上位な一方で副教科の内申点が低く、地元トップ校は不安なため準トップ校を目指す。無事受かり、入学する。 2016年4月○○高等学校普通科入学(高1)トップ校に行けなかったことで入学当初は落ち込む。しかし友人に恵まれ校風も自分に合っていたことで、すぐに高校生活を満喫し出す。またバドミントン部に入るが、体育館の少なさや女子との格差がひどく、文句が出るときもあった。(高2)幼いころより科学少年であったため物理や化学を選択するが、特に前者は宇宙の心理を体現していることが格好良く思え、意欲的に授業を受ける。部活では土壇場での勝負で強さを発揮するようになり、試合勝利後に感情が昂り泣くことを初めて経験した。またこの頃より朝練を自分たちで始め、コートの少なさを少しでもカバーしようした。修学旅行は○○に行き、行きの飛行機で寝られないほどは興奮した。メジャーな観光地であり日本語も通じやすいが、それでもそこは異国の地であり、将来は海外と関わって働きたいという考えがより強固なものとなった。(高3)最後の高体連は必死に戦ったが途中で敗れ、○○大会には行けず悔しい思いをした。引退後には勉強に切り替え、まずは好きな英語を仕上げたく英検準一級に申し込んだが、受検当日に発熱し○○℃を記録する。しかし良くも悪くも粘り強い性格のため冷えピタを貼り会場に行き、なんとか合格する。また秋ごろに、勉強の興味が物理や化学から経済学に移ったため文転を決意する。時期の遅さから選択科目が変えられず、日本史を独学する必要があったが、友人と苦手な分野をサポートしあうことで効率よく学習を進められた。またあえて週に一度部活の朝練に行き、後輩指導という名目のもとでリフレッシュをした。そして3月に○○大学○○学部に合格する。友人や家族にも褒められ、非常に嬉しかった。 2019年4月○○大学入学(大1)小学生の頃より憧れていた○○大に入り、気力一杯のもと大学生活スタート。バドミントン部には3回体験に行ったが、団体メンバーは幼いころからの経験者であるジュニアが多く、埋もれるくらいならとサークルに入った。3つあるバドミントンサークルの中で一番規模が小さく、自由度も高かったため好きなだけプレーすることができ、あっという間に常連メンバーになった。飲み会では1人だけアルハラをしてくる人がおり、自分は人の嫌がることはしたくないなと思った。また勉強面では英語の授業を免除させる資格があったが、自己研鑽のためにあえて厳しいと噂の講義を取った。思ったより大変で少し後悔もしたが、やり切った自分が少し誇りに思えた。(大2)春にサークルの代表となったのだが、OBからサークルとしてお金を借りていたため、それを自分たちの代で返そうと意気込んだ。しかしコロナにより活動が出来なくなり、どうしようかと悩んでいた時、○○の疑いが発覚し入院することとなる。悪性であるか良性であるかは手術をした後でしか分からず、更に95%の確率で前者であることは知っていたため、人生最大の恐怖心を味わう。5年生存率という概念を意識した際に、その生々しさから不安で机の上が鼻水だらけになるまで泣いたが、気持ちを切り替えて入院する。結果としては奇跡的に良性であり、全く問題ないことが判明し、死の恐怖にとらわれず生きられることがこの上なく嬉しいと思った。この時より、文字通り健康に生きられることはこの上なくありがたいことだと考えるようになり、少し謙虚な人間となった。また秋以降はサークルが出来るようになり、こちらに注力していくこととなった。(大3)サークルの1つ下の代が代表を引き継ぐことにあまり乗り気でなかったので、引き続き自分が代表をやることにした。同期との工夫によりじわじわと人数が増えていき、それにより赤字を脱却することが多くなった。最終的には黒字となり、先輩やOBから借りていたお金を返すことが出来た。そして下の代が代表をやってくれることになったので役職を受け渡し、それを機に就職活動に専念してきた。
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【合格】インターンエントリーシート(IBD) 大和証券 2023卒 男性 Q 大学あるいは大学院で、専攻もしくは今後、学ぼうとしている学問について、誰にでもわかるように説明して下さい
A 今後、私は○○経済学という学問を学びたい。これは発展途上地域の経済発展について考えていく学問であり、通常のミクロ経済学とは異なる考え方をする必要があることが特徴である。以下に分かりやすいケースを例として挙げる。途上国農村の小農であるB氏を考え、最近何らかの理由により、同氏の農地の生産性が格段に低下したとすると、標準的なミクロ経済学の利潤最大化理論に従えば,労働生産力が低下したのなら、B氏は農地への労働投入量を減らすべきであるとされる。しかしB氏は逆に労働投入量を増やした。この理由はなぜか。一見非合理的な行動に見えるが、労働市場が機能していないといいう仮定のもとでは、労働投入量を横軸にとると労働の限界生産力(単位労働当たりの生産量)は右下がり、余暇の消費に対する限界代替率(満足度の比)は右上がりの単調な曲線として描ける。このとき彼は交点において労働投入量を決定すると考えられる。そして、農地の労働の限界生産力が低下したため労働の限界生産力曲線は下方シフトするが、しかしこのとき限界生産力が低下したことで以前より消費が難しくなり、消費に比して余暇の相対的な価値が低まったため、余暇の消費に対する限界代替率も下方シフトする。そしてこの限界代替率の下方シフトの効果が大きい場合に、結果として交点は右にシフトし、労働投入量は増加しうる。このように、直感に反するような事象も数学的に考えれば合理性を見出すことができることが美しいと感じた。ゼミでの研究テーマは来年度に決めるらしいが、前述のような内容を中心に行いたいと考えている。
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