三井物産

Mitsui & Co. Winter Internship(C・D日程)

  • インターン
  • 東京・神奈川
締切 18/12/25 13:00

最終更新日:2018年11月21日

三井物産とは一体どんな会社なのか。グローバルな舞台で自らビジネスを創造する醍醐味とは何か。これらを存分に感じていただけるよう、メイン2泊3日とフォローアップ1日の計4日間にわたるインターンシップをお届けします。
※エントリー書類提出を終えていただいた方に、12月末以降から全国で実施予定のグループワークセミナーをご案内予定です(先着順での受付となります)

■対象
日本あるいは海外の大学・大学院に在学中の方

■インターンシップ日程
C日程
2泊3泊(メイン) 2019年2月7日(木)~9日(土)
1日(フォローアップ) 2019年3月20日(水)

D日程
2泊3泊(メイン) 2019年2月12日(火)~14日(木)
1日(フォローアップ) 2019年3月22日(金)

■開催場所
三井物産本店(東京都千代田区)及び三井物産グローバル人材開発センター(神奈川県横浜市)にて実施

■応募期間
2018年11月20日(火)~12月25日(火)13:00までに、マイページ上にてエントリー書類の提出を完了ください。
※参加を希望する日程のヒアリングは、エントリー書類提出で行います。

■面接日程
エントリー書類の審査後、合格者の方に以下日程のいずれかの面接に参加いただいた上で、参加者を決定させていただきます。
2019年1月18日(金)    三井物産北海道支社(札幌)
2019年1月17日(木)    三井物産東北支社(仙台)
2019年1月9日(水)~11日(金)、15日(火)    三井物産本店(東京)
2019年1月15日(火)    三井物産中部支社(名古屋)
2019年1月16日(水)~17日(木)    三井物産関西支社(大阪)
2019年1月18日(金)    三井物産九州支社(福岡)

■注意事項
・エントリー書類提出は一度のみとしておりますので、再応募は受付できません。
(例:A/B日程参加を希望してエントリー書類を提出いただいた場合、C/D日程へのご応募はできません。)
・過去のインターンシップ(2017年度以前実施のインターンシップ等)に応募・参加いただいた方の再応募は可能です。
・インターンシップ参加にあたり、首都圏外より参加される方のみ交通費を一部負担させて頂きます。
(面接参加への交通費支給はありません。)
・全ての開催日程におけるインターンシップのコンテンツは同じです。
・4日間全てのプログラムにご参加可能な方のみご応募をお願いいたします。
・開催日程や締切日時は、全て日本時間となります。
・本インターンシップは当社の2020年度新卒採用とは一切関係ありません。

【ES設問内容】
◆「挑戦する」とは何かを自分の言葉で説明してください。(30文字以内)
◆上記を裏付ける実体験を説明してください。(200文字以内)
◆あなたがインターンシップで得たいもの、そしてあなたがインターンシップで周囲に提供できる価値は何ですか。(100文字以内)

ES・選考レポート 10件

【合格】インターンエントリーシート(担当職) 三井物産 2023卒 男性 Q 自分史を2500字以内で記述。 小学以前、中学時代、高校時代、大学時代にそれぞれ分けて書くこと。
A 【小学校卒業まで】(250文字) (幼少)幼稚園での○○が非常に好きだった。父が○○に巻き込まれ不安な思いと同時に防災に関心を抱く。 (小1)陸上部に入部。理由は持久走の爽快感を忘れられなかったから。陸上クラブが毎月各々で目標を決めて練習に取り組む方針だったため、目標から逆算して考える思考が身についた。 (小5)クラスで縄跳び大会に出場した。主将に任命されたが思うように行かず悔しかった。 (小6)約6年間に及ぶ練習が身を結び、○○で優勝することができた。努力が実り嬉しかった。 2011年4月 ○○中学入学 (500文字) (中1)テニス部に入部。理由は顧問の先生の生徒に対する誠実な人柄に惹かれたから。一方で駅伝への情熱も捨てきれず駅伝部にも加入。テニスと駅伝の双方への挑戦を決意する。 (中2)先輩と部員からの投票によりテニス部では主将に任命される。団体戦での県大会出場のために全てを捧げようと決意した。しかし、新人戦では市大会で敗退し地区大会にも進めず「史上最弱の代」と言われ悔しい思いをした。試合経験が少ないことが私たちの弱みと考え、顧問の先生に数多くの練習試合を懇願した。その結果、他校と比べ豊富な実践経験を積むことができた。 (中3)テニス部では団体戦において中体連の地区大会で準優勝し、目標であった県大会出場を果たす。一方、駅伝部では部員が辞めてしまい最後の大会に出られない危機に陥る。しかし、熱意を込めて説得に奔走した結果、各部活の主力選手6人の勧誘に成功した。無事、大会への出場を果たし、当時の地区大会新記録で優勝した。しかし、県大会では自分の失速が原因で入賞を逃し、非常に悔しかった。勉強も部活も全力で挑む高校生活を送りたいと考え、文武両道の風土が整った○○を志望。推薦入試で合格。 2014年4月 ○○高校入学 (750文字) (高1)サッカー部へ入部。理由は学内で最も勉強と部活に真剣に挑む雰囲気に惹かれたから。しかし、サッカー未経験だったこともあり練習について行けず苦しい部活動生活が続いた。また、推薦入試入学だったため勉強面でも遅れを取りクラス最下位を取る挫折を経験した。入学後最初の3ヶ月は心身共に非常に追い込まれ、部活動を辞めて勉強への専念を考えた。しかし、文武両道に邁進する高校生活を夢見て現在の環境を選んだことを思い出し、勉強も部活も本気で挑むことを改めて決意。勉強では間違えた問題を、サッカーではプレーでのミスを書くノートを作成し失敗の原因を分析して再発防止に努めた。しかし、目に見える結果が出ない日々が続いた。 (高2)2年生になると継続した取り組みが身を結び、模試では校内1位を獲得。部活動でも2軍戦でのスタメンを獲得する。そして1軍戦出場のためには自分だけの特徴を武器にする必要があると考え、陸上で鍛えた「スタミナ」と「体幹」を軸にしたプレースタイルで勝負することを決める。そのために当時流行っていた「長友式体幹トレーニング」を毎日実施し、昼休みにはラグビー部の筋トレに有志で参加した。 (高3)自分のプレーが評価され、途中出場ながらも1軍戦の重要場面での起用が増加。そして最後の大会でも緊迫した場面で起用され、県大会出場を決めるゴールを自ら決めた。しかし県大会ではベンチ入りを逃す悔しい思いをした。 ○○大学の都市開発を学べる学科を志す。理由は幼少期の○○事故に加え、○○地震の際に都市が破壊されて学校に通えない経験をして自分で災害に強い街を作りたい想いを抱いたからである。 両親と恩師の支えもあり、○○大学に現役で合格を果たす。高校3年間を通して、文武ともに結果を残すことができた。 2017年4月 ○○大学○○学部○○学科入学 (1000文字) (大1~)野球サークルに加入。理由は幼少期から○○のファンであり、野球に興味を抱いたから。しかし、○○リーグで万年最下位争いをしている現状に憤りを感じる。そこで、副代表就任を機に公式戦前後のみの練習から公式戦が開催されない時も週2回の練習開催を敢行。他の部員と軋轢が生じたこともあったが、その年度は準優勝を果たした。 父の事故経験から○○の分野に興味を抱く。だが、学内で○○の研究を行なう研究室は教授と学生が留学生で構成されており、ゼミや日常会話は全て英語で行われていた。海外経験の無い日本人は厳しい環境だと言われるが挑戦を決断。しかし、最初のゼミでは自分の考えを英語で伝えられず悔しい思いをした。 (大3冬~)○○の分野に関する議論の凋落に問題意識を感じ、国際学会での発表に挑戦。当初論文制作において専門知識が不足していたため、専門知識に詳しい博士留学生に論文の共同制作を依頼した。当初は承諾されなかったが、英語を通じて学会に対する思いを自らの言葉で伝え続けた。その結果、私の思いに共感し共同制作が実現した。 だが中間報告会で学会水準に達しておらず、学会の参加権剥奪危機に陥る。「曖昧な役割分担と目標設定」「低い語学力による議論不足」に原因があると分析し2つの施策を実施した。まず役割確認のための会議を毎週行い、進捗速度を向上させた。また留学生との討論を英語で毎日30分行った。その結果当日の参加を果たし、学生奨励賞を獲得した。また、語学力もTOEIC○○点から○○点、英検○級取得までに向上した。 (大4冬~)留学生が日本の生活相談を気軽にできない環境に問題意識を感じ、無償で留学生の事務対応を始める。だが無償がゆえに日本人学生が十分に集わず、素早い対応ができなかった。そこで大学に有償での事務対応を依頼した。しかし、0からの仕組み構築が困難との理由で承諾されなかった。そこで私は構築に必要な書類を自ら作成することで解決しようと考え、エクセルや法律に精通した知人に勤務表や労務誓約書の作成を懇願し、それらと共に再度大学への依頼を試みた。その結果4ヶ月の期間を経て時給○○円が貰えるシステムを構築した。 現在は、事務対応で親睦を深めた留学生の助けを借りながら「○○」に関する国際ジャーナルへの掲載を目標に研究を続けている。
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インターンエントリーシート(総合職(担当職)) 三井物産 2022卒 男性 Q 自分史
A (幼稚園)週末は父と弟と近くの公園で毎週のようにで遊ぶ。この時からスポーツ少年だったと思う。 (小学校)○○と○○を始める。○○は○年間、○○は小○から○年間取り組んだ。休みはほぼなく、家族にも協力してもらいながら「感謝の気持ちを忘れるな」と監督の言葉を胸に全力で練習に励んでいた。○○においては、小学生ながら最高段位まで到達し、表彰を受けた。 (中1)小学校では○○にも力を入れてきたが○年間取り組んできた○で身につけた体力と上半身の強さを活かしたく○○に入部を決意。 (中2)中学2年からはレギュラーを務め、県大会ベスト○に輝き納得のいく結果を残した。また、定期試験○教科○○○を下回らないという目標を掲げ勉学に励んだ。3年間常に上位をキープしていた。目標に向け作戦を練り努力することの面白さを学ぶ。 (中3)部活では○○を任命される。受験では、志望校偏差値が○であったが、当時偏差値が○しかなく、教師からはワンランク下げるよう勧められていた。しかし、常に強い意志をもち挑戦し続けた。結果、模試において偏差値は上がらなかったものの、傾向や特徴を掴み、合格を勝ち取ることが出来た。この経験から、逆境であっても乗り越える力を身につけることが出来た。 (高1)中学校で○年間続けてきた○○を継続したいという思いから、中学時代と同じ部活に入部。部活と恋愛に恵まれるも、勉強でいい成績が取れていた中学までとは異なり、授業についていくのが精一杯で成績はみるからに悪化。 (高2)理系を選択。成績が悪く教師から塾に行くように勧められ通うようになる。高校2年の夏から部活動ではレギュラーの座を得る。 (高3)成績を取り戻す。現在の大学に合格。 (大1)様々なバックグラウンドを持ち自分にない価値観の人との出会いから自分の世界が一気に広がっていくと感じる。 (大2)統計学・データサイエンス分野に興味が湧き、それらを中心に授業を受ける。 (大3)一人暮らしを始める。○○に参画。 (大4)研究室配属ではそのまま統計学の研究室を選択。
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エントリーシート(担当職) 三井物産 2022卒 男性 Q 自分史
A 小学校以前(250文字以下) (0歳)2人兄妹の長男としてドイツで生まれ、4歳まで過ごす。友達と毎日喧嘩をするやんちゃな子供だった。 (小3)親友の影響で始めた野球に熱中する。親友に負けまいと練習に励み、レギュラーの座を獲得する。渋谷区の大会で優勝し嬉し涙を流す。 (小4)父親が長期の海外転勤となる。 (小5~6)両親の方針で、中学受験に向けた勉強中心の生活が始まる。文化祭で魅力を感じた聖光学院入学を目指し、必死の勉強の末に合格する。人生で初めて努力が報われる経験をし、努力に対しポジティブな印象を持つようになる。 中学時代(500文字以下) 2010年4月 聖光学院中学校に入学 (中1)2年間我慢していた野球を忘れることができず、思う存分に野球ができる環境を求めて野球部に入部する。冬休みには1ヶ月間シアトルにて現地の英語教師の家にホームステイをし、英語と異文化を学ぶ。英語力は皆無だったが、辞書やジェスチャーを駆使して意思疎通を図り、現地の子どもたちと一緒に野球をするほど親しくなる。 (中2)1型糖尿病を患う妹と母親による食生活に関する喧嘩が絶えなくなり、父親も海外駐在中だったため家での自分の居場所がなくなる。一方で友達と遊ぶ時間をより大切にするようになる。家族との食事内容の差(糖分や食塩を減らすという医師からの指示があったため)に不満をもっていた妹を気遣い、家での食事内容や量を妹に合わせ、代わりに学内食堂で昼食を皆の倍食べるようになる。 (中3)最高学年になり、野球部の活動に専念する。4番の座を後輩に奪われ非常に悔しい思いをするが、負けまいと授業前や部活後も猛練習を続ける。結果、最後の大会では5番センターとして起用され、中区の大会で優勝する。全国大会まで行こうと志すが市大会初戦で敗退し、高校野球に夢を馳せる。 高校時代(750文字以下) 2013年4月 聖光学院高等学校に入学 (高1)迷わず野球部に入部する。夏からは文化祭で企画部門(ステージ企画や後夜祭等、エンターテイメント全般を担当する部門)の部門長として30人ほどのメンバーをまとめる。部活動との両立が厳しく過酷な生活が続いたが、今までにない充実感を感じる。この経験で、チームをまとめ上げることの難しさや、組織をより良くすることの面白さを知る。 (高2)最後の大会(進学校だったため高2の秋までしか部活動が許されていなかった)を前に肘を故障してしまい、試合出場が難しくなる。ショックが大きく1度は退部を検討するが、監督から「チームに対してできることがないと思うなら逃げればいい。」と言われたことをきっかけに考えを改め、ひたすらにバッティング練習と後輩指導、マネージャー業務を行った。復帰後、バッティング力を評価され5番ファーストとして起用されるが2回戦敗退に終わる。どうしても部活を諦めきれなかったため、高3の春大会まで続けるために主将・副将・私の3人で校長先生に交渉をする。学年平均以上の成績を取るという条件で許可がおりたため、最寄りの東進衛星予備校に通い始める。 (高3)春季大会出場は叶ったものの、最後の大会に備え調整してきている他校に新チームで対抗する必要があり、非常に不利な状況であった。そこで、チーム全体の力を向上するために後輩指導・他チーム分析・戦略策定に注力した。結果として初戦敗退となったが、悔しさよりも最後までやり抜くことができた達成感の方が大きかった。監督から「お前らはこれからバットじゃなくてペンを持て」と言われ、受験勉強に専念する。当初成績は絶望的だったが、先生や周りの優秀な友達に支えられながら、なんとか成績を上げることができた。 大学以降(1000文字以下) 2016年4月 東京工業大学に入学 (大1)高校で受けた化学の授業に興味を持ったため、応用化学系を選択する。大学では全く新しいことに挑戦したいと考え、さらに自身が受験生時代に助けられた映像授業の業界に恩返しをしたいと考え、河合塾マナビスでアルバイトを始める。 (大2)家族の引越しをきっかけに一人暮らしを始める。生活費を稼ぎたかったことに加え、塾でのアルバイトにも慣れ始め、よりチャレンジングな環境に身を置きたかったため結婚式場でのアルバイトを始める。職員のほとんどが女性の環境だったためほぼ全ての力仕事を任されていたが、ジムに行かなくても筋トレができる最高の仕事だと自分に言い聞かせ、がむしゃらに業務にあたった。この経験で体力的にも精神的にもタフになった。 (大3)働いていた塾にて、生徒の受講数が低迷した時期があり、生徒にヒアリングを行った結果、生徒の塾に対する信頼感に不足を感じた。そこで生徒の情報をパソコン上で共有するための生徒別カルテの導入を提案し、採用された。当初スタッフがカルテの記入に消極的であったため、同期にも協力を仰ぎスタッフ一人一人と話し合いの場を設け、システムの必要性や役割をスタッフ全員が認知できるよう働きかけた。結果、受講率は同塾全国約300校舎中1 位、全国模試偏差値は首都圏1位となり、このシステムは他校舎にも採用された。この経験から、組織のために考え、行動することで周囲に影響を与えることができ、結果としてより広い範囲に価値提供ができることを学んだ。 (大4)直接社会の役に立つ研究がしたいと考え、触媒を専門にしている横井研究室に所属。所属してすぐに、博士課程の先輩が行っていた脱炭素化社会に向けた国家プロジェクトの共同研究に携わることになった。社会的価値の高い巨大なプロジェクトに関わることができ嬉しかった反面、非常に大きなプレッシャーを感じた。 2020年4月 東京工業大学大学院に入学 博士課程の先輩が卒業し、共同研究に本格的に携わるようになる。しかし、扱う反応が非常にマイナーなため、研究戦略の確立が困難で研究は難航した。そこで、新型コロナウイルスによる自粛期間を利用して、一見関連しないような論文も幅広く読み、僅かでも触媒活性改善の可能性のある戦略を複数立て実験を進めた。結果、高付加価値な触媒開発に成功し、国際学会にて発表予定である。
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