三井物産

Mitsui & Co. Winter Internship(C・D日程)

  • インターン
  • 東京・神奈川
締切 18/12/25 13:00

最終更新日:2018年11月21日

三井物産とは一体どんな会社なのか。グローバルな舞台で自らビジネスを創造する醍醐味とは何か。これらを存分に感じていただけるよう、メイン2泊3日とフォローアップ1日の計4日間にわたるインターンシップをお届けします。
※エントリー書類提出を終えていただいた方に、12月末以降から全国で実施予定のグループワークセミナーをご案内予定です(先着順での受付となります)

■対象
日本あるいは海外の大学・大学院に在学中の方

■インターンシップ日程
C日程
2泊3泊(メイン) 2019年2月7日(木)~9日(土)
1日(フォローアップ) 2019年3月20日(水)

D日程
2泊3泊(メイン) 2019年2月12日(火)~14日(木)
1日(フォローアップ) 2019年3月22日(金)

■開催場所
三井物産本店(東京都千代田区)及び三井物産グローバル人材開発センター(神奈川県横浜市)にて実施

■応募期間
2018年11月20日(火)~12月25日(火)13:00までに、マイページ上にてエントリー書類の提出を完了ください。
※参加を希望する日程のヒアリングは、エントリー書類提出で行います。

■面接日程
エントリー書類の審査後、合格者の方に以下日程のいずれかの面接に参加いただいた上で、参加者を決定させていただきます。
2019年1月18日(金)    三井物産北海道支社(札幌)
2019年1月17日(木)    三井物産東北支社(仙台)
2019年1月9日(水)~11日(金)、15日(火)    三井物産本店(東京)
2019年1月15日(火)    三井物産中部支社(名古屋)
2019年1月16日(水)~17日(木)    三井物産関西支社(大阪)
2019年1月18日(金)    三井物産九州支社(福岡)

■注意事項
・エントリー書類提出は一度のみとしておりますので、再応募は受付できません。
(例:A/B日程参加を希望してエントリー書類を提出いただいた場合、C/D日程へのご応募はできません。)
・過去のインターンシップ(2017年度以前実施のインターンシップ等)に応募・参加いただいた方の再応募は可能です。
・インターンシップ参加にあたり、首都圏外より参加される方のみ交通費を一部負担させて頂きます。
(面接参加への交通費支給はありません。)
・全ての開催日程におけるインターンシップのコンテンツは同じです。
・4日間全てのプログラムにご参加可能な方のみご応募をお願いいたします。
・開催日程や締切日時は、全て日本時間となります。
・本インターンシップは当社の2020年度新卒採用とは一切関係ありません。

【ES設問内容】
◆「挑戦する」とは何かを自分の言葉で説明してください。(30文字以内)
◆上記を裏付ける実体験を説明してください。(200文字以内)
◆あなたがインターンシップで得たいもの、そしてあなたがインターンシップで周囲に提供できる価値は何ですか。(100文字以内)

ES・選考レポート 10件

インターンエントリーシート(担当職) 三井物産 2024卒 女性 Q 自分の幼少期から、小中高、大学生活を2000字程度で記載してください。
A 小学生 250字 (0歳)2人姉妹の長女として○○市に生まれる。 (小3)書道、水泳、バスケットボール、そろばん、水墨画、英会話、トランペット、ボーイスカウト、通信教育の計9個の習い事をこなす。マルチタスクの能力が養われた。 (小4)トランペットが上達しないことが悔しく、自宅に持ち帰り毎日練習をする。 (小5)趣味は読書。図書館の本をほぼ全て読破する。 (小6)ボーイスカウトで山口県へ8泊のキャンプに行く。衛生環境、人間関係、天候、体調等全てが最悪な状況だったが逃げることなくひたすらに耐え、忍耐力がつく。 中学生 500字 2014年4月○○市立○○中学校入学 (中1)クラスで自分だけスマートフォンを所持していなかった為、悔しい思いをする。その分バドミントン部、通信教育に打ち込むとともにテレビやファッション誌といったインターネット以外の娯楽を見つける。情報を伝えたいと思い、アナウンサーを目指す。 (中2)部活で大きな仲間割れが起こり、板挟みになる。副部長として中立的な立場から両者の意見を聞き、和解に持ち込むことに成功した。また負けず嫌いな性格の為、地区大会で初戦敗退したことが悔しく、部活の時間外にも地区センターで自主的に練習を重ねた。結果、市大会へ出場という夢を叶える。以来、目標の為には努力を惜しまないようになる。 (中3)友人に勉強を教えることが好きだった為、休み時間に問題解説講座を開く。他クラスから聴講生が来る程評判になる。早稲田大学の教育実習生から早稲田の話を聞き、魅力を感じると共にアナウンサーを多く輩出していると聞き、志す。進学の為にはハイレベルな高校で仲間と刺激し合い、競争することで自分が成長出来る環境が必要だと考え、地元で1番の進学校を目指す。模試や本番では英語が得点源となり、見事合格。 高校生 750字 2017年4月○○県立○○高等学校入学 (高1)受験勉強と両立させる為、部活は文化部に絞った。アナウンサー志望だった為放送部へ入部。文化祭時の音響やラジオを担当し、放送の楽しさと大変さを知る。文化祭の仕事に遅刻した際や長時間連絡が出来なかった際、部長にとても怒られる。組織の一員として働く責任を感じ、反省した。一方、○○県のアナウンスの大会で初戦敗退。半年間毎日発声練習を重ねて次の大会に挑むも、準決勝敗退。ライバル達のレベルの高さにアナウンサーの夢は挫折する。早稲田は諦めたくないと思ったが進学校の授業にはついていけず、塾へ通う。毎日塾の自習室で勉強し、英語のテストで学年1位を取れて嬉しかった。大学受験でも英語を武器にしたいと考え、複数の資格を取る。 (高2)所属していた軽音楽部で○○を担当した。自分にしかできない音楽を生み出すことやバンドの仲間と協力して綺麗なハーモニーを作ることにやりがいを感じる。しかし練習しても中々上達せず、演奏のレベルを他人と比較してしまい、そのストレスから買い物依存症になる。成績も下がり、人生のどん底だった。依存症の治療をしていくうちに人間の消費行動や小売店のビジネスモデルに興味を持ち、早稲田の中でも政治経済学部を志す。放送部で会計を担当し、限りある予算を効率的に使った経験も、その志の追い風となる。 (高3)文化祭実行委員会の放送班として、最後の文化祭準備に尽力する。音響設備が故障した際に焦りを感じたが、仲間と何度も練習した配線の組み立てを思い出し、見事復旧できた時はやりがいを感じた。その後受験勉強に本気で取り組むも、目指し続けた早稲田へは届かなかった。悔しかったが現役で他大学への進学を決意。○○学部への入学だけは叶った。 大学生 1000字 2020年4月○○大学○○学部入学 (大1)コロナの流行で全てのイベントがオンラインになる。しかし憧れの東京での大学生活を諦めきれず、SNSで友達作りを試みた。大学生活の不安を吐露するツイートが共感と話題を呼び、僅か1か月でフォロワーが○○人を突破。また自ら積極的に○○人程にメッセージを送り、会話をすることでオンライン上の友人が○○人程出来た。他にもサークルの新歓Zoomに積極的に顔を出し、そこで友人を作った。勇気を出して○○委員会の面接を受け、合格。他4つのサークルに入る。コロナ禍でカラオケのアルバイトが出来なくなり、地元の○○チェーンと○○チェーンの掛け持ちを始める。 (大2)2つのアルバイトではどちらも接客を経験した。客や従業員からお叱りを受けた際はその度にそれを真摯受け止め、原因を深く考えた。また店長や従業員からはメンタルが強いと言われることが多く、アルバイトを通じて忍耐力や課題解決力が養われたと感じた。更に、作られた商品をお客様に渡す架け橋となることで、社会に貢献出来ていると感じた。この経験と、大学で○○を学んでいたことから総合商社に興味を持ち始めた。貿易関係のゼミに入ろうとするも募集しておらず断念。経済学を基礎から学べる○○経済学・○○理論のゼミに入った。○○委員会では○○局○○担当の統括となり、局長をサポートしながら担当のメンバーをまとめる役割を担った。全員の活動への理解を確認する為に個別面談を開催し、全体の参加率を上げた。○○サークルでは新歓係としてSNSでの新歓を行った。サークルの情報のみならず新入生に役立つ情報を発信し、入部した多くの新入生から情報が役に立ったと言われた時は強いやりがいを感じた。 (大3)就職活動に尽力した。多くのことに挑戦したいと考え、○○系ベンチャー企業で長期インターンシップを始めた。マーケティング部に所属し、就職活動に役立つ記事の執筆やYouTubeの編集を担当している。情報と就活生を繋ぐ架け橋として社会貢献をしたいと考える。他にも合同説明会や企業説明会、オンラインのセミナーに積極的に出席。各業界の特徴や課題、就職活動の効率的な進め方を学んだ。インターンシップに落ちてしまうという課題が生じた時は逐一メンターに相談し、原因を丁寧に考えた。これらを通して自ら主体的に動く行動力を体得した。
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エントリーシート(担当職) 三井物産 2024卒 男性 Q 自分史(2000字以内)(小学校以前10%、中学校20%、高校30%、大学40%)
A 小学校以前  0歳: ◯◯県◯◯市に生まれる 5歳: 初めてミュージカルを鑑賞する。演目は劇団四季の「美女と野獣」。人前に立って何かをすることに興味を持つ。 9歳: 友だちに誘われて◯◯チームに入る。◯◯漬けの生活になる。 10歳: 父親の転勤に伴い、◯◯に転校。◯◯でも◯◯を続ける。 12歳: 小学6年生の時にAチームに上がるもレギュラーになれず、◯◯をプレーすることに対する興味を徐々に失う。 中学校  2014年4月◯◯中学校入学 中1: ◯◯部には入らず、人前に立つことが好きだったため◯◯部に入部。◯◯で培った声の大きさが役に立つ。秋には◯◯し、◯◯に所属する。 中2: ◯◯部では自らの性格もあり、◯◯を◯◯機会が多かった。秋の◯◯では◯◯に◯◯し、◯◯。「◯◯」を目指し、◯◯に力を入れる。また、ラグビーW杯で日本が南アフリカに勝った試合をテレビで観て、ラグビーに興味を持つ。高校ではラグビー部かアメフト部に入ることを決心する。 中3: ◯◯部の◯◯で◯◯。その結果、全国大会出場校や◯◯大会に出場した経験のある中学校を抑えて優勝。◯◯が優勝したのは実に◯年ぶりだと聞いた。しかし、区大会で燃え尽きてしまい、その後の◯◯ではあっけなく敗退。また、祖父が農家であることから農業ビジネスに興味を持ち、おぼろげながら経営学を学びたいと思う。高校受験は、模試では90%の合格判定を獲得しながらも第1志望の◯◯に落ちる。 高校 2017年4月◯◯高等学校入学 高1: かねてから興味のあったラグビー部の門を叩くが、部員がいないため廃部だと言われる。しかたなく、同じコンタクトスポーツである◯◯部に入部。週に5回、◯◯とウェイトトレーニングを行う筋肉漬けの日々を送る。体重は入学当初から10キロ増えた。◯◯で◯位入賞を果たす。 高2: 高校1年のときからさらに身体を大きくし、入学当初から体重を20キロ増やす。しかし、高校から◯◯を始めたため、経験者にはなかなか勝てないことが続いた。◯◯と筋力トレーニングの両方に全力で取り組み、インターハイ予選では◯◯に入る。しかし、◯◯を賭けた決定戦では敗北。また、人前に立つことが好きだったため◯◯で◯◯をする。◯◯が◯◯ため自信を持つ。 高3: 5月に◯◯部を引退。受験勉強に本腰を入れる。学費の高い私立に通わせてもらっていたため、予備校に通わずに勉強をした。中学生のときから興味のあった経営学を学ぶことができる学科を志望する。◯◯では、高2のときの手応えから自信を持って挑戦。昨年とは打って変わって、◯◯てしまい、自信を無くす。大学受験の結果は、第1志望の◯◯大学はセンターの点数が足りず諦め、第2志望の◯◯大学◯◯部は落ちる。結果、第3志望校だった◯◯大学◯◯部◯◯学科に合格。 大学 2020年4月◯◯大学◯◯学部◯◯学科入学 大1: 新型コロナの影響で入学式が中止。授業がはじまるも、オンライン授業となり交友関係の構築ができず強い孤独を感じる。とりあえず◯◯サークルに入ってみるが、何の活動をすることもなくサークルが自然消滅。11月に◯◯部が活動を再開したため入部。しかし、入部当初は同期がおらず高校よりも恵まれない環境での競技生活となる。したがって、自分でトレーニングメニューを考案して実行したり、自主的にランニングトレーニングをしたりと、考えて◯◯に打ち込むようになる。 大2: コロナ禍により、予定されていた大会がことごとく中止となる。7月と10月に開催された数少ない大会では、どちらも一回戦で敗退し、◯◯の高いレベルを痛感する。より一層、自分に何が足りないのかを考えて、効率的に強くなるために◯◯に励む。9月には◯◯部の主務に就任する。部活動における事務手続きや会計、広報などのあらゆる裏方業務を行う。12月には、◯◯のメンバーとなり、◯◯を担当する。しかし、授業、部活、◯◯、アルバイトの4つを滞りなく行うことに苦戦し、ミスをしてしまうことが増える。そこで、1人で全てを頑張ろうとするのではなく、仲間や周りの人の協力も受けながら、チームプレーを意識することで乗り越えた。 大3: コロナが少し落ち着き、大学が留学生に受け入れを再開した影響で◯◯部にアメリカ、フランス、ベトナム、スウェーデンなど様々な国から留学生がやって来る。図らずも◯◯サークルではなく、◯◯部に在籍しながら国際交流を経験する。一方で、言語の違いによるコミュニケーションの壁や文化の違いを痛感した。その中でも留学生たちと交流しながら、英語と身振り手振りを駆使して◯◯を教えることで、彼らに短期間ではあるが◯◯の楽しさや魅力を伝えることができた。9月には◯◯に就任する予定。
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エントリーシート(総合職) 三井物産 2024卒 男性 Q 自分史を2500文字以下で記載ください。 自分史は、以下 4 つのパートに分けて構成してください。また、全体の文字数に対す る、其々のパートの文字数の比率の目安は以下の通りです。 小学校以前:10%程度 中学時代:20%程度 高校時代:30%程度 大学以降:40%程度 内容・留意事項 事実の羅列を端的に、時系列でご記載ください。 上記行動に至った経緯、および感想も簡単に補足してください。 自分史はあなたの当社に対する志望度を測るものではありません。 自分史の内容のみで合否判断はしません。 サンプルをご一読のうえ、ご準備をお願いします。(サンプルは架空の人物の自分史です。) 改行は必要最低限にしてください。(サンプルの通り、小学校以前・中学時代・ 高校時代・大学以降別に分けていただく程度でお願いします。) 自分史は入社後もチームビルディング等での活用も想定しています
A 【小学校時代】○○年○○立○○小学校入学 (0歳) 2人兄弟の長男として産まれる。 (4歳) 当時TVを通して観戦した、アーセナルFC(イングランド)の試合に魅力を感じ、サッカーを始めると同時に、親の勧めで水泳を始める。 (10歳)日能研に入塾する。 (11歳)日能研模試にて、全国約4万名の中で○○で1位を取る。 (12歳)サッカーの面では、地域選抜に選ばれ、都大会ベスト16に進出。受験の面では、複数の中学校に合格し、○○中学校を進路先として選択。(234文字) 【中学校時代】○○年○○中学校入学 (中1)中学校入学と同時に反抗期に入る。大好きだったサッカーからも離れ、ゲームセンターやカラオケで遊ぶ日々が続く。 (中2)夏休み前に、○○から○○に引っ越しをする。その結果、通学時間の短縮、関わる友人の変化などが起こり、徐々にサッカーに戻ることができるようになる。部活に戻り、すぐにボランチで試合に出場するようになる。同学年の部員が20名程度いたため、あまり良く思われなかったが、結果を出すことで徐々に認めて貰えるようになる。 (中3)サッカー部では、地区大会の決勝で負けてしまい、都大会には出ることができなかった。(287文字) 【高校時代】○○年○○高等学校入学 (高1) 中学校から変わらずサッカー部に所属する。Jリーグのユースチームや各県の選抜レベルの選手がスポーツ推薦として入部してくる環境の中で、初めてサッカーで挫折を経験する。勉学の面では、3学期開始時に、全治3か月の怪我をしてしまい、何かに打ち込みたい一心から勉強に真剣に取り組む。結果として、2学期から大幅に成績が向上し、最も成績が向上した生徒として表彰を受ける。しかし、全体的に成績が伸びた中で、英語だけは成績が伸びず、基礎からやり直す必要があると感じ、両親に頭を下げ個別指導塾に通い始める。 (高2)サッカーの面では変わらずレギュラーを取れずにいた。サッカー日誌や、目標達成に向けたマンダラチャートの記載を通して、常に目標とする姿に向けて練習を重ねた。また、勉学の面では少しずつ結果が出始め、高校2年生の終わりには英検2級を取得した。 (高3)ついにレギュラーで試合に出れるようになるも、直ぐに○○の○○損傷の重傷を負ってしまう。復帰の道を探るも、手術を受けるしか道がなく、手術を受ければ最後の大会には間に合わないと宣告される。現実を受け入れられず、数日間ふさぎこんでしまう。しかし、監督やチームメイトの励ましを受け、自分が試合に出ることは出来なくても、チームの勝利に貢献することで、一番の目標であった、チームとして全国大会に出場することは達成できると考え、主務としてチームを支える。この経験を通して、陰で働く事の大切さや大変さを学ぶ。分析や栄養管理など様々な面からチームをサポートし、結果として創部史上初の○○進出を達成することができた。卒業後の進路としては、○○を選択。 【大学時代】○○年〇月、○○大学○○学部に入学 (大1) 入学と同時に学内の○○寮に入寮。また、交換留学をしたいという思いから、○○(○○学部選抜プログラム)、○○に入り勉学に専念する。○○では、大学○○年次から○○年次レベルの経済学を並行して学び、早い段階から専門的な知識を身につけた。更に、IPでは、3年次の交換留学を見据え、英語で経済学を学習した。また、2月には○○に約1か月の留学を経験した。 (大2) 前期は、9月の交換留学出願に向けて英語の学習に励んだ。結果として、TOEIC○○点、TOEFL ITP ○○点を取得した。○○月には、学内での交換留学選抜試験に受かり、○○大学への○○年間の交換留学を勝ち取った。 加えて、○○学習支援事業「○○」で講師として働きはじめた。「○○」は、片親世帯かつ所得が一定水準以下の家庭を対象としている。後期は、IPの授業内で、「世界金融危機が中国経済に与えた影響」という題で20000字を超えるエッセイを4人組で作成し、留学の土台となる英語力、論文執筆力を磨くことができた。 (大3) 2年次から勤務していた「○○」においてリーダー講師に昇進し、生徒講師含め○○人規模の会場の運営を行った。交換留学がコロナの影響により中止になってしまい、大学院進学など様々な選択肢を考慮するも、最終的に、当時唯一隔離無しで行ける国であった○○に私費留学を決断。語学学校である○○に通い、1日6時間授業を受ける。コロナ過であったことも幸いし、世界中から学生が集い、ブラジルの大学教授や、フランスの弁護士など教養が高い方との対話を通して、英語力の向上のみならず、様々な価値観を学ぶことができた。また、帰国前にヨーロッパ7か国をバックパックして回った。 (大4) その後、大学から○○大学への交換留学を提案される。世界の最先端の国を見たうえで、今度は発展途上国を自分の目で見たいと考え、2月から6月まで○○大学への交換留学を経験した。○○大学では、経済学と開発学を専攻した。生活環境としては、住居はお湯が出ず、シャワーもなく、ほぼすべての電化製品もない環境であり、世界の格差の現状を知ることが出来た。帰国後は、○○株式会社での長期インターンを始めると同時に就職活動を開始する。
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インターンエントリーシート(業務職) 三井物産 2024卒 男性 Q 自分史を2000字以内で記述してください。
A 幼稚園の頃からサッカークラブに所属し、一つのスポーツに打ち込むことで、競技の技術やチームワークを培いました。小学校に進学しても、サッカーを続けることで自己の成長を感じ、困難に立ち向かう力を養う機会となりました。しかし、小学生の頃から勉学にも力を注ぎ、将来のために受験をする道を選びました。中学受験の難関に直面しながらも、努力と忍耐を持って向き合い、中高一貫校に合格することができました。この経験は、私の人生において自己の目標を追求し、挑戦し続ける重要性を教えてくれました。中学生になると、新たなことに挑戦するためにテニス部に入部しました。サッカーとは異なるスポーツに取り組むことで、自己の能力を広げるだけでなく、さまざまな価値観や経験を持つ仲間たちと触れ合う機会が与えられました。テニスの練習や試合は厳しく、技術の向上には努力と忍耐が必要でしたが、その中での成長や喜びは計り知れませんでした。そして、中学生活の中で、今でも親友として絆を保ち続けている人と出会いました。彼との出会いは私にとって大切なものであり、彼との絆は中学から大学までの長い時間を共有する中で深まっていきました。お互いに励まし合い、支え合いながら成長していく姿勢は、私の人間性や価値観の形成に大きな影響を与えました。高校に進学すると、私はテニス部での活動を続けました。継続的な練習や試合の経験は、私の競技力を高めるだけでなく、責任感や協調性といった重要なスキルを養うことにつながりました。また、学業にも真剣に取り組み、大学進学を目指しました。多忙な日々の中での時間管理や効果的な勉強法を身につけることで、私は成績を向上させることができました。そして、長年の努力が実を結び、大学受験に合格することができました。大学1年生の時、私は事業会社での長期インターンを始めました。初めての実務経験は大きな挑戦であり、業務内容の難しさに最初は苦しむこともありました。しかし、私は自分の成長のために努力を惜しまず、困難に立ち向かいました。初めのうちは理解が及ばず、心が折れそうになることもありましたが、周囲のサポートや自分自身への信頼を持ち続けることで、次第に仕事に慣れ、業務の一端を担うようになりました。大学3年生まで続けることで、私は専門知識や実践的なスキルを磨く機会を得ることができました。自分の成果を実感し、自信を持って業務に取り組むことができるようになりました。これまでの経験を通じて、私は挑戦することの重要性や、困難を乗り越えることで得られる成長や充実感を学びました。将来の目標に向かって、常に自分自身に高い目標を設定し、努力を惜しまずに取り組む姿勢を持ち続けたいと思っています。私の人生は、幼少期からのサッカー経験や中学・高校でのテニス部活動、そして大学でのインターン経験など、多様な要素が組み合わさって成り立っています。これらの経験は私の人格形成や価値観の基盤となり、将来の道を選ぶ際にも大いに役立っています。これからも、新たな挑戦や経験を通じて自己成長を続けながら、自分の可能性を広げていきたいと思っています。私の目標は、自己の能力を最大限に発揮し、社会に貢献できる存在となることです。常に学び続け、多様な分野でのスキルを磨いて自己成長を促進することで、将来の成功への道を切り拓いていきたいと願っています。これからの人生においても、過去の経験から得た教訓や価値観を胸に刻みながら、さまざまなチャレンジに立ち向かっていきます。私は自己の可能性を信じ、努力を厭わず、困難を乗り越えることで成長し続ける覚悟を持っています。また、私は他者との協力やチームワークの大切さも心得ています。仲間やパートナーとの絆を深め、共に成長し、互いに刺激し合うことでより良い未来を築いていきたいと考えています。将来の目標は、自身の専門分野での専門知識を磨りつつ、社会に貢献できる職業に就くことです。私は自分の力で社会に貢献したいという思いを強く持ちながら、社会的な課題に取り組み、解決に向けて努力を惜しまない覚悟を持っています。私の人生は、幼い頃からのスポーツ活動や学業への取り組み、そして実務経験など、さまざまな要素が交錯して成り立っています。これらの経験は私の人間性や価値観を豊かにし、個人としての成長を促してくれました。最後に、私は常に夢と希望を抱き、困難に立ち向かいながらも自己を成長させる決意を持ち続けます。未来への道はまだ見えていませんが、確かなのは私の意志と情熱です。自分自身と周囲の人々に影響を与えるような存在になるために、これからも努力と挑戦を惜しまず進んでいきます。
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エントリーシート(総合職) 三井物産 2023卒 男性 Q 自分史 2,000 文字程度で記入してください。最大でも 2,500 文字以内でお願いします。 構成・ 文字数配分 自分史は、以下 4 つのパートに分けて構成してください。また、全体の文字数に対する、其々のパートの文字数の比率の目安は以下の通りです。 小学校以前:10%程度、中学時代:20%程度、高校時代:30%程度、大学以降:40%程度
A 【小学校卒業まで】(0歳)長男として生まれる。(3歳)スイミングを始めたが、水が苦手で最初の○○級で辞める。(4歳)○○に入会。右脳教育が非常に楽しく、7年通うこととなる。(小2)放課後は毎日公園で鬼ごっこに明け暮れる。友達に誘われ野球を始めようか迷うが、ある日打球が当たったことがトラウマとなり断念する。(小5)家族で○○大学の学校祭に行った際、当時の学生が液体窒素等を使って遊ばせてくれ、頭が良くも気さくな所に憧れを抱く。(小6)友達の姉とバドミントンをし、楽しさに衝撃を受ける。 2013年4月○○中学校入学(中1)バドミントン部に入ろうとするが、女子のみの部であり入れないことを知る。諦められず顧問の先生に頼み、男子バドミントン部を新設してもらい、入部する。そこでただ楽しいとしか感じていなかったバドミントンが、ハードなスポーツであることを思い知る。以降引退まで、土日は部活が終わると地区体育館に直行し、閉館までプレーするようになる。(中2)練習の甲斐があり、春の中体連地区大会にダブルスで入賞し、半年後の公式戦の第一シード権を得る。しかし直前に体育で手の指を骨折してしまい、棄権する。またダブルスのペアも同じタイミングでケガをし、悔しさから2人とも自暴自棄になり、練習を初めてサボる。少し部活を離れることでバドミントン愛に気付かされたため、数日後に復帰しできる範囲から練習を再開する。(中3)最後の中体連で準決勝負けし、全市大会出場を逃して引退する。全力は出せたが負けは負けであり、非常に悔しかった。引退後は受験を見据えたが、学年順位は上位な一方で副教科の内申点が低く、地元トップ校は不安なため準トップ校を目指す。無事受かり、入学する。 2016年4月○○高等学校普通科入学(高1)トップ校に行けなかったことで入学当初は落ち込む。しかし友人に恵まれ校風も自分に合っていたことで、すぐに高校生活を満喫し出す。またバドミントン部に入るが、体育館の少なさや女子との格差がひどく、文句が出るときもあった。(高2)幼いころより科学少年であったため物理や化学を選択するが、特に前者は宇宙の心理を体現していることが格好良く思え、意欲的に授業を受ける。部活では土壇場での勝負で強さを発揮するようになり、試合勝利後に感情が昂り泣くことを初めて経験した。またこの頃より朝練を自分たちで始め、コートの少なさを少しでもカバーしようした。修学旅行は○○に行き、行きの飛行機で寝られないほどは興奮した。メジャーな観光地であり日本語も通じやすいが、それでもそこは異国の地であり、将来は海外と関わって働きたいという考えがより強固なものとなった。(高3)最後の高体連は必死に戦ったが途中で敗れ、○○大会には行けず悔しい思いをした。引退後には勉強に切り替え、まずは好きな英語を仕上げたく英検準一級に申し込んだが、受検当日に発熱し○○℃を記録する。しかし良くも悪くも粘り強い性格のため冷えピタを貼り会場に行き、なんとか合格する。また秋ごろに、勉強の興味が物理や化学から経済学に移ったため文転を決意する。時期の遅さから選択科目が変えられず、日本史を独学する必要があったが、友人と苦手な分野をサポートしあうことで効率よく学習を進められた。またあえて週に一度部活の朝練に行き、後輩指導という名目のもとでリフレッシュをした。そして3月に○○大学○○学部に合格する。友人や家族にも褒められ、非常に嬉しかった。 2019年4月○○大学入学(大1)小学生の頃より憧れていた○○大に入り、気力一杯のもと大学生活スタート。バドミントン部には3回体験に行ったが、団体メンバーは幼いころからの経験者であるジュニアが多く、埋もれるくらいならとサークルに入った。3つあるバドミントンサークルの中で一番規模が小さく、自由度も高かったため好きなだけプレーすることができ、あっという間に常連メンバーになった。飲み会では1人だけアルハラをしてくる人がおり、自分は人の嫌がることはしたくないなと思った。また勉強面では英語の授業を免除させる資格があったが、自己研鑽のためにあえて厳しいと噂の講義を取った。思ったより大変で少し後悔もしたが、やり切った自分が少し誇りに思えた。(大2)春にサークルの代表となったのだが、OBからサークルとしてお金を借りていたため、それを自分たちの代で返そうと意気込んだ。しかしコロナにより活動が出来なくなり、どうしようかと悩んでいた時、○○の疑いが発覚し入院することとなる。悪性であるか良性であるかは手術をした後でしか分からず、更に95%の確率で前者であることは知っていたため、人生最大の恐怖心を味わう。5年生存率という概念を意識した際に、その生々しさから不安で机の上が鼻水だらけになるまで泣いたが、気持ちを切り替えて入院する。結果としては奇跡的に良性であり、全く問題ないことが判明し、死の恐怖にとらわれず生きられることがこの上なく嬉しいと思った。この時より、文字通り健康に生きられることはこの上なくありがたいことだと考えるようになり、少し謙虚な人間となった。また秋以降はサークルが出来るようになり、こちらに注力していくこととなった。(大3)サークルの1つ下の代が代表を引き継ぐことにあまり乗り気でなかったので、引き続き自分が代表をやることにした。同期との工夫によりじわじわと人数が増えていき、それにより赤字を脱却することが多くなった。最終的には黒字となり、先輩やOBから借りていたお金を返すことが出来た。そして下の代が代表をやってくれることになったので役職を受け渡し、それを機に就職活動に専念してきた。
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